・・・朝寝が好きで、髪を直すに時間を惜しまず、男を相手に卑陋な冗談をいって夜ふかしをするのが好きであるが、その割には世帯持がよく、借金のいい訳がなかなか巧い。年は二十五、六、この社会の女にしか見られないその浅黒い顔の色の、妙に滑っこく磨き込まれて・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・太十は精神の疲労から其夜うとうととなった。悪戯な村の若い衆が四五人其頃の闇を幸に太十の西瓜を盗もうと謀った。太十の西瓜はこれまで一つも盗まれなかったのである。彼等の手筈はこうであった。二三人は昼間見ておいた西瓜をひっ抱えてすぐ逃げる。他のも・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・好んで身体を使って疲労を求める。吾々が毎日やる散歩という贅沢も要するにこの活力消耗の部類に属する積極的な命の取扱方の一部分なのであります。がこの道楽気の増長した時に幸に行って来いという命令が下ればちょうど好いが、まあたいていはそう旨くは行か・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
ただいまは牧君の満洲問題――満洲の過去と満洲の未来というような問題について、大変条理の明かな、そうして秩序のよい演説がありました。そこで牧君の披露に依ると、そのあとへ出る私は一段と面白い話をするというようになっているが、な・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・道徳に関係の無い文芸の御話をすれば幾らでもありますが、例えば今私がここへ立ってむずかしい顔をして諸君を眼下に見て何か話をしている最中に何かの拍子で、卑陋な御話ではあるが、大きな放屁をするとする。そうすると諸君は笑うだろうか、怒るだろうか。そ・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・旅への誘いは、私の疲労した心の影に、とある空地に生えた青桐みたいな、無限の退屈した風景を映像させ、どこでも同一性の法則が反覆している、人間生活への味気ない嫌厭を感じさせるばかりになった。私はもはや、どんな旅にも興味とロマンスをなくしてしまっ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・地位職分を殊にする者が、この卑陋なる一室に雑居して苦々しき思をなさんより、高く楼に昇りてその室を分ち、おのおの当務の事を務むるはまた美ならずや。室を異にするも、家を異にするに非ず。居所高ければもって和すべく、居所卑ければ和すべからざるの異あ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
左の一編は、去月廿三日、府下芝区三田慶応義塾邸内演説館において、同塾生褒賞試文披露の節、福沢先生の演説を筆記したるものなり。 余かつていえることあり。養蚕の目的は蚕卵紙を作るにあらずして糸を作るにあり、教育の・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・蓋し男女交際法の尚お未熟なる時代には、両性の間、単に肉交あるを知て情交あるを知らず、例えば今の浮世男子が芸妓などを弄ぶが如き、自から男女の交際とは言いながら、其調子の極めて卑陋にして醜猥無礼なるは、気品高き情交の区域を去ること遠し。仮令い直・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・一 女子が如何に教育せられて如何に書を読み如何に博学多才なるも、其気品高からずして仮初にも鄙陋不品行の風あらんには、淑女の本領は既に消滅したりと言う可し。我輩が茲に鄙陋不品行の風と記したるは、必ずしも其人が実際に婬醜の罪を犯したる其罪を・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
出典:青空文庫