・・・今度は葉隠れをやめて、森の木の影の微風に揺らるる上を踏んで行くという趣向を考えたが、遂に句にならぬので、とうとう森の中の小道へ這入り込んだ。そうすると杉の枝が天を蔽うて居るので、月の光は点のように外に漏れぬから、暗い道ではあるが、忽ち杉の木・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・蕪村集中にその例を求むれば鶯の鳴くや小き口あけてあぢきなや椿落ち埋む庭たつみ痩臑の毛に微風あり衣がへ月に対す君に投網の水煙夏川をこす嬉しさよ手に草履鮎くれてよらで過ぎ行く夜半の門夕風や水青鷺の脛を打つ点滴・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 十五六から二十近くまでの娘の心と云うものはまるで張りきった絃の様にささやかな物にふれられてもすぐ響き、微風にさえ空鳴りがするほどで、涙もろい、思いやりの深い心を持って居るんです。 この時代になれば、どんな幸福な家にある娘でも、何と・・・ 宮本百合子 「現今の少女小説について」
・・・八つ手、檜葉、樫、午下りの日光と微風に輝き揺れて居る一隅の垣根ごしに、鶯の声がした。飼われて居る鶯らしい。三月の初め、私が徹夜した黎明であった。重く寒い暗藍色の東空に、低く紅の横雲の現れたのが、下枝だけ影絵のように細かく黒くちらつかせる檜葉・・・ 宮本百合子 「木蔭の椽」
・・・その信じがたいことを、美風としてその校長は考え、そう考えることは常規を逸して殆ど精神の病気であるのだから、児童の薫陶などはゆだねておけない事を証明するのだとは考えなかったのである。 さすがにそれをきいた人たちは呆然としたそうだが、そこま・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・彼等の最終の呪文は、我国古来の美風を忘れて、徒に浮薄な米国婦人等に其の範をとるのは杞うべき事、恥ずべき事である、と云うのに終りますでしょう。 我国古来の美風――友よ、其なら貴方はその美風が如何なるものであるか御説明下さいますか? 彼は、・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 彼女等は、思いのままに延びた美くしい四肢の所有者であり、朗らかな六月の微風に麗わしい髪を吹きなびかせながら哄笑する心の所有者でございます。 広大な地と、高燥な軽い空気は、自ずと住む人間の心を快活に致します。のみならず、婦人に向って・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 息もつまりそうにうっそうと茂ったエルムの梢を、そよりとも動かす微風もなくて、静かに横わった湖水から、彼岸の山にかけて、むっとした息のような霞が掛って居る。何時とはなく肌がしめるような部屋で机に倚りながら、東京ももうさぞ暑い事だろうなと・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・ましてや、微風のような異性の間の情味や生活の歓喜の一つの要素としての感覚・官能の解放は圧殺されていた。きょう私たちは人民が人民の主人となった解放のすがすがしさに、思わず邪魔な着物はぬぎすてて、風よふけ日よおどれと、裸身を衆目にさらしているの・・・ 宮本百合子 「商売は道によってかしこし」
・・・実践倫理という時間があって、その時間には、大学部の生徒は皆一同講堂にあつまって、成瀬校長の講義をきき、それを片はじから筆記するのであったが、講堂にみちる絶え間ない微風のような字をかく音を超えて、熱気をふくんだ校長の声は盛んに、自由とか天才と・・・ 宮本百合子 「青春」
出典:青空文庫