・・・晩年には服装なぞも余り構わなかったし、身体は何方かと云えば痩せぎすな、少し肩の怒った人で、髪なぞは長くしていた。北村君の容貌の中で一番忘れられないのは、そのさもパッションに燃えているような、そして又考え深い眼であった。 明治年代に記憶す・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・人間は変っていませんが、服装は変っていますね。その服装を、微笑ましい気で見ている事もあります。」「何か、主義、とでもいったようなものを、持っていますか。」「生活に於いては、いつも、愛という事を考えていますが、これは私に限らず、誰でも・・・ 太宰治 「一問一答」
・・・旅の名人である。目立たない旅をする。旅の服装も、お粗末である。 いつか、井伏さんが釣竿をかついで、南伊豆の或る旅館に行き、そこの女将から、「お部屋は一つしか空いて居りませんが、それは、きょう、東京から井伏先生という方がおいでになるか・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・日本にたった二つとか三つとかしかない珍しい標本をいくつか持っているという自慢を聞かされない学生はなかったようである。服装なども無頓着であったらしく、よれよれの和服の着流しで町を歩いている恰好などちょっと高等学校の先生らしく見えなかったという・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・ナナの二人の友だちの服装やアンドレの家の食卓の光景などがそうした感じを助けたようである。 この映画の監督はドロシー・アーズナーとあるから女であろうと思われる。どこかやっぱり女の作った映画らしい柔らかみが全体に行き渡っているような気がする・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・小涌谷辺は桜が満開で遊山の自動車が輻湊して交通困難であった。たった一台交通規則を無視した車がいたため数十台が迷惑するというのがこういう場合の通則である。「クラブ洗粉」の旗を立てた車も幾台かいた。享楽しながら商売の宣伝になるのは能率のいいこと・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・ちょっと見には美しい女たちの服装などにも目をつけた。 この海岸も、煤煙の都が必然展けてゆかなければならぬ郊外の住宅地もしくは別荘地の一つであった。北方の大阪から神戸兵庫を経て、須磨の海岸あたりにまで延長していっている阪神の市民に、温和で・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・徳川幕府が仏蘭西の士官を招聘して練習させた歩兵の服装――陣笠に筒袖の打割羽織、それに昔のままの大小をさした服装は、純粋の洋服となった今日の軍服よりも、胴が長く足の曲った日本人には遥かに能く適当していた。洋装の軍服を着れば如何なる名将といえど・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 夕陽は荷舟や檣の輻輳している越前堀からずっと遠くの方をば、眩しく烟のように曇らしている。影のように黒く立つ石川島の前側に、いつも幾艘となく碇泊している帆前船の横腹は、赤々と日の光に彩られた。橋の下から湧き昇る石炭の煙が、時々は先の見え・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・これら両岸の運河にはさまざまな運送船が輻輳しているので、市中川筋の眺望の中では、最も活気を帯び、また最も変化に富んだものであろう。 或日わたくしはいつもの如く中洲の岸から清洲橋を渡りかけた時、向に見える万年橋のほとりには、かつて芭蕉庵の・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫