・・・家庭の不幸でもあるなら悔みの言葉のいいようもあるが、犬では何と言って慰めて宜いか見当が付かないので、「犬なんてものは何処かへ行ってしまったと思うと、飛んでもない時分に戻って来るもんだ。今に必と帰って来るよ、」といって見た。が、二葉亭は「イヤ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・しかれども種々の不幸に打ち勝つことによって大事業というものができる、それが大事業であります。それゆえにわれわれがこの考えをもってみますと、われわれに邪魔のあるのはもっとも愉快なことであります。邪魔があればあるほどわれわれの事業ができる。勇ま・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ けれど、ここに思いがけない不幸なことがもちあがりました。 松蔵の家が、貧乏のために、いっさいの道具を競売に付せられたことであります。もとよりなにひとつめぼしいものがなかったうちに、バイオリンが目立ちましたのですから、この松蔵にとっ・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・――私あんな教養のない人と一緒になって、ほんまに不幸な女でしょう? そやから、お習字やお花をして、慰めるより仕方あれしません。ところが、あの人はお習字やお花の趣味はちょっともあれしませんの」「お茶は成さるんですか」「恥かしいですけど・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・が、しかし考えてみれば、人生は面白いもの、あの犬の不幸に遭った日は俺には即ち幸福な日で、歩くも何か酔心地、また然うあるべき理由があった。ええ、憶えば辛い。憶うまい憶うまい。むかしの幸福。今の苦痛……苦痛は兎角免れ得ぬにしろ、懐旧の念には責め・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・るさにも暗さにも徹しえない自分のような人間――自分は酔いが廻ってくるにしたがって、涙ぐましいような気持にさえなってきて、自分の現在の生活を出るというためからも、こうした怪しげな文筆など棄てて、ああした不幸な青年たちに直接に、自分として持って・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・父の亡魂なのだ。不孝の子を父ははるばると訪ねてきてくれたのだと思うと私はまた新しく涙が出てきたが、私は父を慕う心持で胸がいっぱいになった。「お前も来い! 不憫な子よ、お前の三十五年の生涯だって結局闇から闇に彷徨していたにすぎないんだが、私の・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ 三 喬はたびたびその不幸な夜のことを思い出した。―― 彼は酔っ払った嫖客や、嫖客を呼びとめる女の声の聞こえて来る、往来に面した部屋に一人坐っていた。勢いづいた三味線や太鼓の音が近所から、彼の一人の心に響いて来た・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・僕は母に交って此方に来て、母は今、横浜の宅に居ますが、里子は両方を交る/″\介抱して、二人の不幸をば一人で正直に解釈し、たゞ/\怨霊の業とのみ信じて、二人の胸の中の真の苦悩を全然知らないのです。 僕は酒を飲むことを里子からも医師からも禁・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・然しお政さんなんぞは幸福さ、いくら親に不孝な男でも女房だけは可愛がるからね。お光などのように兵隊の気嫌まで取て漸々御飯を戴いていく女もあるから、お前さんなんぞ決して不足に思っちゃなりませんよ」 皮肉も言い尽して、暫らく烟草を吹かしながら・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫