・・・おまえは、稀代の不信の人間、まさしく王の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・どうしたんだろう、奥には誰もいぬはずだがと思って、不審にしてしばらく聞いていたです。すると、その叫び声はいよいよ高くなりますし、誰か来てくれ! と言う声が聞こえますから、来てみたんです。脚気ですナ、脚気衝心ですナ」 「衝心?」 「と・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・小径――その向こうをだらだらと下った丘陵の蔭の一軒家、毎朝かれはそこから出てくるので、丈の低い要垣を周囲に取りまわして、三間くらいと思われる家の構造、床の低いのと屋根の低いのを見ても、貸家建ての粗雑な普請であることがわかる。小さな門を中に入・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ B氏は私の不審がっているのを面白そうに眺めるだけで、何の説明も与えてくれない。「まあ少し待ってくれ給え」と云っている。 奧の間からこの家の主婦が出て来た。髪が真黒で顔も西洋人にしてはかなり浅黒く、目鼻立ちもほとんど日本人のようであ・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・発電所から流れ出す水流の静かさを見て子供らが不審がる。水はそのありたけの勢力を機械に搾取されて、すっかりくたびれ果てて、よろよろと出て来るのである。しかし水は労働争議などという言葉は夢にも知らない。 人間は自然を征服し自然を駆使している・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・食慾不振のおかげで、御馳走がまずく喰われるという幸運を持合せたのであろう。何が仕合せになるかもしれないのである。 四 半分風邪を引いていると風邪を引かぬ話 流感が流行るという噂である。竹の花が咲くと流感が流行るとい・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・姉の家で普請をしていた時に、田舎から呼寄せられて離屋に宿泊していた大工の杢さんからも色々の話を聞かされたがこれにはずいぶん露骨な性的描写が入交じっていたが、重兵衛さんの場合には、聴衆の大部分が自分の子供であったためにそういう材料はことさらに・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・無拠教程を鵜呑にする結果は知識に対する消化不良と食慾不振である。 教えるためには教えないことが肝心である。もう一杯というところで膳を取り上げ、もう一と幕と思うところで打出しにするという「節制」は教育においてもむしろ甚だ緊要なことではない・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・「家普請を春のてすきにとり付いて」の静かな低音の次に「上のたよりにあがる米の値」は、どうしても高く強い。そうして「宵の内はらはらとせし月の雲」と一転しているのは一見おとなしいようでもあるが、これを次に来る野坡の二句「藪越しはなす秋のさびしき・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・「おや、また普請したぞい……」 フト目に入った山荘庵の丘の上に、赤い瓦の屋根が見えた。「また俺らの上納米で建てたんだろべい」 四 そう呟いて善ニョムさんはまた向き直って、肥料を移した手笊を抱えて、調子よく・・・ 徳永直 「麦の芽」
出典:青空文庫