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・・・この本は生の臭覚の欠けたいわゆる腐儒的道学者の感がなく、それかといって芸術的交感と社会的趨勢とに気をひかれすぎて、内面的自律の厳粛性の弱くなったきらいがなく意志の自律性を強靭に固守する点で形式的主観的でありながら、人間行為の客観的妥当性を強・・・
倉田百三
「学生と教養」
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・・・文明の学者士君子にして、腐儒の袖の下に隠れ儒説に保護せられて、由て以て文明社会を瞞着せんとする者と言う可し。其窮唯憐む可きのみ。或は此腐儒説の被保人等が窮余に説を作りて反対を試みんとすることもあらんか、甚だ妙なり。我輩は満天下の人を相手にし・・・
福沢諭吉
「新女大学」