・・・写実主義時代といえば、二葉亭から緑雨、露伴の「風流仏」というのでは、解説者の努力によってのみなにかの新しい文化史的価値がそえられるという程度ではないかと危ぶまれる。 昭和十年代の扱い方は、とくに複雑であろうと予期される。この時期は日本の・・・ 宮本百合子 「「現代日本小説大系」刊行委員会への希望」
・・・ 二葉亭は古いノートを見たので入れました。又つづきを入れましょう。その他、ジイドのドストエフスキー研究とカラマゾフという風に組み合わせましょうね。一かたまりずつ印象はまとめられねばなりませんから。ダラダラと、とびとびでは、御不便でしょうと思・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・『二葉亭全集』をよんだら扉に「ロシア文学は意識的に人生を描いている。それが日本の文学と違う」と書いてあった、鉛筆で。昔あの本をあなたは古本でお買いになったのかしら。十九世紀のシムボリストのところを見たらカントの哲学との関係についてノートがあ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・尾崎紅葉、森鴎外、二葉亭四迷、夏目漱石等の作家が見なおされたのであるが、ここでも亦逢着する事実は、明治日本のインテリゲンツィアの呼吸した空気は、昭和九年の社会と文壇とに漲ってインテリゲンツィアを押しつつんでいる気体とは全く異っていたという発・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ こういう時代に、二葉亭四迷がロシア文学の教養から、人生における男女の自我の対立や個性と通俗のしきたりとの摩擦をとりあげたことは、まことに驚くべきことであったと思う。二葉亭の、当時の日本文学の通念より前進しすぎていた人生的教養は、逆に彼・・・ 宮本百合子 「作家と教養の諸相」
・・・ 追々明治初期の文学の歴史を知るようになって、二葉亭四迷のことを読んだとき、非常に印象ふかい数行があった。四迷が「浮雲」を書いたのは明治二十年のことで、二十七歳の坪内逍遙先生が「小説神髄」をあらわし、「当世書生気質」を発表して「恰も鬼ケ・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・西村茂樹は明治二十年、二葉亭の「浮雲」の出た年に「日本道徳論」を著している。二十八年に「徳学講義」を著し、例えば同じころ「希臘二賢の語に就て」を書いたりしていた津田真道やその頃大いに活動していた中江兆民などとは、人生の見かたの方向に於ては対・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 豆双葉の死 豆双葉金一君が、はるばる九州から上京した三日目に、旅疲れから哀れ果敢なく六つの命を終ったことは世人をおどろかし又様々の感想を抱かせた。 父親の波多江さんが、愛子を解剖に付したことはこの際極めて・・・ 宮本百合子 「女性週評」
・・・ 明治文学の歴史を少しでも知っているものは、二葉亭四迷という作家の名の価値を否定しないだろうと思う。二葉亭四迷は明治二十年に小説「浮雲」を書いて、当時硯友社派の戯作者気質のつよい日本文学に、驚異をもたらした人であった。硯友社の文学は・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
・・・自ら地面を破って現れる迄、私は滋養にとんだ沈黙で二葉を包んでおこう。 異性の友情も、私は微妙な陰翳のあるまま朗らかに肯定し暢々保って行きたい。けれども、むずかしいのは私の根性が思う通り垢抜けてくれないことだ。〔一九二四年六月〕・・・ 宮本百合子 「大切な芽」
出典:青空文庫