・・・何でも一度なぞは勇之助が、風か何か引いていた時、折悪く河岸の西辰と云う大檀家の法事があったそうですが、日錚和尚は法衣の胸に、熱の高い子供を抱いたまま、水晶の念珠を片手にかけて、いつもの通り平然と、読経をすませたとか云う事でした。「しかし・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・そうして、懇ろにおじいさんを葬って、みんなで法事を営みました。「ほんとうに、だれからでも慕われた、徳のあるおじいさんだった。」と、人々はうわさをいたしました。 また、二十年たち、三十年たちました。おじいさんの墓のそばに植えた桜の木は・・・ 小川未明 「犬と人と花」
・・・また、故郷へ帰ってきてからも、母親のお墓におまいりをしたばかりで、まだ法事も営まなかったことを思い出しました。 あれほど、母親は、自分をかわいがってくれたのに、そして、死んでからもああして自分の身の上を守ってくれたのに、自分はそれに対し・・・ 小川未明 「牛女」
・・・これで百カ日の法事まですっかりすんだというわけであった。「その代り三年忌には、どうかしたいと思いますね。その時にはいっしょの仏様もだいぶあるようだから。今度はこんなことでおやじに勘弁してもらおう」と、私は父とは従妹の、分家のお母さんに言・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・二十五歳までに青年がその童貞を保持するに耐えないという理拠があるであろうか。また本人の一生の幸福から見て、そうすることが損失であろうか。私は経験から考えてそうは思われない。女を知ることは青春の毒薬である。童貞が去るとともに青春は去るというも・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ほんとは、自分の掠奪した植民地を保持するために戦争をやっていたのだ。独逸の帝国主義者は、又、イギリスやフランスの多過ぎる植民地を、公平に分配をやり直そうとして戦っていたのであった。この次に来る戦争に於ても、又こういうことが起るであろう。そう・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・井伏さんの文学が十年一日の如く、その健在を保持して居る秘密の鍵も、その辺にあるらしく思われる。 旅行の上手な人は、生活に於ても絶対に敗れることは無い。謂わば、花札の「降りかた」を知って居るのである。 旅行に於て、旅行下手の人の最も閉・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・緑酒を捧持されて、ぼんやりしていた。かのアルプス山頂、旗焼くけむりの陰なる大敗将の沈黙を思うよ。 一噛の歯には、一噛の歯を。一杯のミルクには、一杯のミルク。「なんじを訴うる者とともに途に在るうちに、早く和解せよ。恐くは、訴うる者・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・それが実にさもさもだいじなものを捧持しているようなかかえ方である。よそ目にもはらはらするようなそこらの日本の子守りと比べて、このシナ婦人のほうに信用のあるのはもっともである。 軽井沢から沓掛へ乗った一人の労働者が、ひどく泥酔して足元があ・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・そこで何か法事のような儀式が行なわれているか、あるいはこれから行なわれようとしているらしい。自分はいつのまにか紋付き袴の礼装をしている。自分の前に向き合って腰かけた男が、床上にだれかが持って来て置いた白い茶わんのようなものを踏むとそれがぱち・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
出典:青空文庫