・・・そう言えば、あの震災の時は先生だっても、面白い服装をして私共へ尋ねて来て下すったじゃありませんか。ほら、太い青竹なぞを杖について……」「そこから、君、この食堂が生れて来たようなものだよ」 と言って見せて広瀬さんも笑った。「でも、・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・「ほら、お前が田舎から持って来た画さ。」と、私は言った。「とうさんなら、あのほうを取るね。やっぱし田舎のほうにいて、さびしい思いをしながらかいた画は違うね。」「そうばかりでもない。」「でも、あの画には、なんとなく迫って来るものが・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・女の子は、「ああ、今ちょうど見えます。ほら、ごらんなさい。」といいながら、向うの岡の方をゆびさしました。「ああ、あんなところにもある。」と男の子はびっくりして見入りました。しかし、よく見ると、それは岡の上のじぶんの家でした。男の子は・・・ 鈴木三重吉 「岡の家」
・・・「着物が少し長いや。ほら、踵がすっかり隠れる」と言うと、「母さんのだもの」と炬燵から章坊が言う。「小母さんはこんなに背が高いのかなあ」「なんの、あなたが少し低うなりなんしたのいの。病気をしなんすもんじゃけに」と初やが冗談をい・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・そして、「ほら。」と言って、やせ犬になげてやりました。すると犬は、それが地びたへおちないうちに、ぴょいと上手に口へうけて、ぱくりと一口にのみこんでしまいました。肉屋はおもしろはんぶんに、こんどは少し大きく切りとって、ぽいとたかくなげて見・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・ ――おそれいります。ほら、ハンケチ、あげるわよ。 ――ありがとう。借りて置きます。 ――すっかり、他人におなりなすったのねえ。 ――別れたら、他人だ。このハンケチ、やっぱり昔のままの、いや、犬のにおいがするね。 ――ま・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ 太宰は、よく法螺を吹くぜ。東京の文学者たちにさえ気づかなかった小品を、田舎の、それも本州北端の青森なんかの、中学一年生が見つけ出すなんて事は、まず無い、と井伏さんの創作集が五、六冊も出てからやっと、井伏鱒二という名前を発見したというような・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・「海が見えるよ。もうすぐ見えるよ。浦島太郎さんの海が見えるよ。」 私ひとり、何かと騒いでいる。「ほら! 海だ。ごらん、海だよ、ああ、海だ。ね、大きいだろう、ね、海だよ。」 とうとうこの子にも、海を見せてやる事が出来たのである・・・ 太宰治 「海」
・・・うそだろう、シーボルトという奴は、もとから、ほら吹きであった、などと分別臭い顔をして打ち消す学者もございましたが、どうも、そのニッポンの大サンショウウオの骨格が、欧羅巴で発見せられた化石とそっくりだという事が明白になってまいりましたので、知・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・ 小説というものがメシよりも好きと法螺を吹いているトシちゃんは、ひどく狼狽して、「林先生って、男の方なの?」「そうだ。高浜虚子というおじいさんもいるし、川端龍子という口髭をはやした立派な紳士もいる。」「みんな小説家?」「・・・ 太宰治 「眉山」
出典:青空文庫