・・・そして道ばたにマドンナを祭るらしい小祠はなんとなく地蔵様や馬頭観世音のような、しかしもう少し人間くさい優しみのある趣のものであった。西洋でもこんなものがあるかと思ってたのもしいような気もした。山腹から谷を見おろすと、緑の野にまっ白な道路が真・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・近きベンチへ腰をかけて観音様を祈り奉る俄信心を起すも霊験のある筈なしと顔をしかめながら雷門を出づれば仁王の顔いつもよりは苦し。仲見世の雑鬧は云わずもあるべし。東橋に出づ。腹痛やゝ治まる。向うへ越して交番に百花園への道を尋ね、向島堤上の砂利を・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・後日再び奥州から大軍の将として上洛する途上この宿に立寄り懇ろに母の霊を祭る、という物語を絵巻物十二巻に仕立てたものである。 絵巻物というものは現代の映画の先祖と見ることが出来る。これについては前にも書いたことがあったが、この山中常盤双紙・・・ 寺田寅彦 「山中常盤双紙」
・・・しかるに管下の末寺から逆徒が出たといっては、大狼狽で破門したり僧籍を剥いだり、恐れ入り奉るとは上書しても、御慈悲と一句書いたものがないとは、何という情ないことか。幸徳らの死に関しては、我々五千万人斉しくその責を負わねばならぬ。しかしもっとも・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・祈らるる神、祈らるる人は異なれど、祈る人の胸には神も人も同じ願の影法師に過ぎぬ。祭る聖母は恋う人の為め、人恋うは聖母に跪く為め。マリアとも云え、クララとも云え。ウィリアムの心の中に二つのものは宿らぬ。宿る余地あらばこの恋は嘘の恋じゃ。夢の続・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・聖旨も此にあるかと恐察し奉る次第である。十八世紀的思想に基く共産的世界主義も、此の原理に於て解消せられなければならない。 今日の世界大戦の課題が右の如きものであり、世界新秩序の原理が右の如きものであるとするならば、東亜共栄圏の原理も自ら・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
・・・例えば死者を祭るに供物を捧ぐるは生者の情なれども、其情如何に濃なるも亡き人をして飲食せしむることは叶わず。左れば生者が死者に対して情を尽すは言うまでもなく、懐旧の恨は天長地久も啻ならず、此恨綿々絶ゆる期なしと雖も、冥土人間既に処を殊にすれば・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・幸御供する君のさきはひ我もよろこぶ天使のはろばろ下りたまへりける、あやしきしはぶるひ人どもあつまりゐる中にうちまじりつつ御けしきをがみ見まつる隠士も市の大路に匍匐ならびをろがみ奉る雲の上人天皇の大御使と聞くからに・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・されば疾翔大力とは、捨身大菩薩を、鳥より申しあげる別号じゃ、まあそう申しては失礼なれど、鳥より仰ぎ奉る一つのあだ名じゃと、斯う考えてよろしかろう。」 声がしばらくとぎれました。林はしいんとなりました。ただ下の北上川の淵で、鱒か何かのはね・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・ けれども、レオニード・グレゴリウィッチ、我々は、キリストを追放しつつレーニンの肖像を祭る。私にもマドンナがいる――マドンナ……ね、貴下は私の心がわかって下さる」 ジェルテルスキーは、自分にぴったり喰いついて熱心に光っているステパンの眼・・・ 宮本百合子 「街」
出典:青空文庫