・・・近年日本の紅がインドへ輸出されるのでどうしたわけかと思って調べてみると婦人の額に塗るためだそうだという話をせんだって友人から聞いていたが、実例をまのあたりに見るのははじめてである。 いつか見た「バンジャ」という映画で、南洋土人の結婚式に・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ていて、そして東洋の日本の片田舎に育った子供の自分が、好奇心にみちた憧憬の対象として、西洋というものを想像するときにいつも思い浮かべた幻像の一つであったあのヴェスヴィアスが、今その現実の姿をついそこにまのあたり現わしていた。しかし思っていた・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・湛然として音なき秋の水に臨むが如く、瑩朗たる面を過ぐる森羅の影の、繽紛として去るあとは、太古の色なき境をまのあたりに現わす。無限上に徹する大空を鋳固めて、打てば音ある五尺の裏に圧し集めたるを――シャロットの女は夜ごと日ごとに見る。 夜ご・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・この事柄は敢て議論ではない、吾等の大教師にして仏の化身たる親鸞僧正がまのあたり肉食を行い爾来わが本願寺は代々これを行っている。日本信者の形容を以てすれば一つの壺の水を他の一つの壺に移すが如くに肉食を継承しているのである。次にまた仏教の創設者・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ここではじめてレントゲンの科学的作用をまのあたり知った子供が観衆の幾割かを占めているのは明らかなことだ。「若い観衆の劇場」は一九二一年、レーニングラード地方ソヴェト文化部管理の下に活動をはじめた。 日本女と子供たちの手にあるプログラ・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・情報局につとめていたことは、まのあたり平野氏に、天皇制と軍国主義の至上命令の兇猛さを示しつづけただろう。そこにつとめながら、そこの仕事を批判していた消極的な自虐性は、平野氏の心理に痼疾的なぐりぐりをこしらえたかのようだ。民主的政治にも、民主・・・ 宮本百合子 「孫悟空の雲」
・・・数多く来た伴天連の中には、これ等の人々のゆるがぬ信仰の殆んど神秘的な力をまのあたり見て、自分の信仰をも高めた者が一人もなかったと、どうして云えよう。それにしても、切支丹宗のどの福音がこんなに久しい伝統となるまで強く村人を捕えたのか。そして現・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫