・・・「兵衛――兵衛は冥加な奴でござる。」――甚太夫は口惜しそうに呟いたまま、蘭袋に礼を云うつもりか、床の上へ乱れた頭を垂れた。そうしてついに空しくなった。…… 寛文十年陰暦十月の末、喜三郎は独り蘭袋に辞して、故郷熊本へ帰る旅程に上った。彼の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・生垣の根にはひとむらの茗荷の力なくのびてる中に、茗荷茸の花が血の気少ない女の笑いに似て咲いてるのもいっそうさびしさをそえる。子どもらふたりの心に何のさびしさがあろう。かれらは父をさしおき先を争うて庭へまわった。なくなられたその日までも庭の掃・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・江戸に渡ったのはいつ頃か知らぬが、享保板の『続江戸砂子』に軽焼屋として浅草誓願寺前茗荷屋九兵衛の名が見える。みょうが屋の商牌は今でも残っていて好事家間に珍重されてるから、享保頃には相応に流行っていたものであろう。二代目喜兵衛が譲り受けた軽焼・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・まさかオンバコやスギ菜を取って食わせる訳にもゆかず、せめてスカンポか茅花でも無いかと思っても見当らず、茗荷ぐらいは有りそうなものと思ってもそれも無し、山椒でも有ったら木の芽だけでもよいがと、苦みながら四方を見廻しても何も無かった。八重桜が時・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・自分は天の冥加に叶って今かく貴い身にはなったが、氏も素性もないものである、草刈りが成上ったものであるから、古の鎌子の大臣の御名を縁にして藤原氏になりたいものだ。というのは関白になろうの下ごころだった。すると秀吉のその時の素ばらしい威勢だった・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・大書すべき始末となりしに俊雄もいささか辟易したるが弱きを扶けて強きを挫くと江戸で逢ったる長兵衛殿を応用しおれはおれだと小春お夏を跳ね飛ばし泣けるなら泣けと悪ッぽく出たのが直打となりそれまで拝見すれば女冥加と手の内見えたの格をもってむずかしい・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ もうしご冥加ご報謝と、 かどなみなみに立つとても、 非道の蜘蛛の網ざしき、 さわるまいぞや。よるまいぞ。」「小しゃくなことを。」と蜘蛛はただ一息に、かげろうを食い殺してしまいました。そしてしばらくそらを向いて、腹をこす・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・そして何の気もなしに三人目の女房がひやっこくなって居た茗荷畑の前に行った。「…………」 男鴨は息をつめて立ちどまった。 頭の中にはあの時の様子がスルスルとひろがって行った。女鴨が死んだと云う事は知って居るけれ共まだ、そこに居る様・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・ 私は或る意味で娘冥加だし女房冥加だと云えると思っているのよ」 父が亡くなって通夜の晩、妹が、今お姉様とても読む気がしないかもしれないけど、お父様がお姉様にあげるんだって病院でお書きになった詩があるのよ、と云った。父はその英語の詩を書い・・・ 宮本百合子 「わが父」
・・・最初討手を仰せつけられたときに、お次へ出るところを劍術者新免武蔵が見て、「冥加至極のことじゃ、ずいぶんお手柄をなされい」と言って背中をぽんと打った。十太夫は色を失って、ゆるんでいた袴の紐を締め直そうとしたが、手がふるえて締まらなかったそうで・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫