・・・飲食衣服は有形の物にして誰れの手を以て与うるも同様なるに似たれども、其これを与うるの間に母徳無形の感化力は有形物に優ること百千倍なるを忘る可らず。蚕を養うにも家人自からすると雇人に打任せるとは其生育に相違ありと言う。況んや自分の産みたる子供・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・兵馬匆卒の際、言論も自由なれば、思うがままに筆を揮うてはばかるところなく、有形の物については物理原則のあざむくべからざるを説き、無形の事に関しては人権の重きを論じ、ことに独立の品行、自尊自重の旨を勧告してその著書も少なからず、これがために当・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・ことに智育有形の実学を離れて、道徳無形の精神にいたりては、ひとたびその体を成して終身変化する能わざるもの多し。けだし人生の教育は生れて家風に教えられ、少しく長じて学校に教えられ、始めて心の体を成すは二十歳前後にあるものの如し。この二十年の間・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・然らばすなわち無形の智徳にして、ひとり社会の圧制を免かるるの理あるべからず。教えずして知るの智あり、学ばずして得るの徳あり。ともに流行の勢にしたがいてその範囲を脱せず。社会はあたかも智徳の大教場というも可なり。この教場の中にありて区々の学校・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・身体を犯すの病毒はこれを恐るること非常にして、精神を腐敗せしむるの不品行は、世間に同行者の多きがためにとて自らこれを犯して罪を免れんとす。無稽もまた甚だしというべし。故にかの西洋家流が欧米の著書・新聞紙など読みてその陰所の醜を探り、ややもす・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・有形の病毒にして斯の如くなれば、無形の徳義においてもまた斯の如くなるべきは、誠に睹易き道理にして、これに疑いを容るる者はなかるべし。病身なる父母は健康なる児を生まず、不徳の家には有徳なる子女を見ず。有形無形その道理は一なり。あるいは夫婦不徳・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ 右の如く、我が国上等社会の人は、無稽の幽冥説に惑溺すること、はなはだ少なしといえども、その、これに惑溺せざるは、ただ一時仏者に敵するの熱心に乗じたるものにして、天然の真理原則を推究したる知識の働に非ざるがゆえに、幽冥説に向って淡白・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
・・・三千年前の項羽を以て今日の榎本氏を責るはほとんど無稽なるに似たれども、万古不変は人生の心情にして、氏が維新の朝に青雲の志を遂げて富貴得々たりといえども、時に顧みて箱館の旧を思い、当時随行部下の諸士が戦没し負傷したる惨状より、爾来家に残りし父・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・斯程解らぬ無形の意を只一の感動に由って感得し、之に唱歌といえる形を付して尋常の人にも容易に感得し得らるるようになせしは、是れ美術の功なり。故曰、美術は感情を以て意を穿鑿するものなり。 小説に勧懲摸写の二あれど、云々の故に摸写こそ小説の真・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・ゆえに無形の語少く有形の語多し。簡勁の語多く冗漫の語少し。しかるに彼に一つの癖ありてある形容詞に限り長きを厭わず、しばしばこれを句尾に置く。つゝじ咲て石うつしたる嬉しさよ更衣八瀬の里人ゆかしさよ顔白き子のうれしさよ枕蚊帳・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫