・・・勿論この事実が不道徳なものだなどと云う事も、人間性に明な彼にとって、夢想さえ出来ない所である。従って、彼の放埓のすべてを、彼の忠義を尽す手段として激賞されるのは、不快であると共に、うしろめたい。 こう考えている内蔵助が、その所謂佯狂苦肉・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・実際模範的な開化の紳士だった三浦が、多少彼の時代と色彩を異にしていたのは、この理想的な性情だけで、ここへ来ると彼はむしろ、もう一時代前の政治的夢想家に似通っている所があったようです。「その証拠は彼が私と二人で、ある日どこかの芝居でやって・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・詭弁である、虚偽である、夢想である。世を済う術数である。 人を救う道ではない。 中庸の徳が説かれる所には、その背後に必ず一つの低級な目的が隠されている。それは群集の平和ということである。二つの道をいかにすべきかを究めあぐんだ時、人は・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・「弘法大師御夢想のお灸であすソ、利きますソ。」 と寝惚けたように云うと斉しく、これも嫁入を恍惚視めて、あたかもその前に立合わせた、つい居廻りで湯帰りらしい、島田の乱れた、濡手拭を下げた娘の裾へ、やにわに一束の線香を押着けたのは、ある・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・張婦李妻定所無し 西眠東食是れ生涯 秋霜粛殺す刀三尺 夜月凄涼たり笛一枝 天網疎と雖ども漏得難し 閻王廟裡擒に就く時 犬坂毛野造次何ぞ曾て復讎を忘れん 門に倚て媚を献ず是権謀 風雲帳裡無双の士 歌舞城中第一流 警柝声はむ寒か・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・刊本では、『夢想兵衛』と『八犬伝』とがあった。畢竟するに戯作が好きではなかったが、馬琴に限って愛読して筆写の労をさえ惜しまず、『八犬伝』の如き浩澣のものを、さして買書家でもないのに長期にわたって出版の都度々々購読するを忘れなかったというは、・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・彼は単に夢想家ではありませんでした。工兵士官なる彼は、土木学者でありしと同時に、また地質学者であり植物学者でありました。彼はかのごとくにして詩人でありしと同時にまた実際家でありました。彼は理想を実現するの術を知っておりました。かかる軍人をわ・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ 良家に生れて、不足なく育った子供等は、自分の欲望を満足するには、もっと美しい金殿玉楼に住んだとか、栄達をしたとかいう話をきいて、夢想することによって喜びを感ずるにちがいない。それは、事実そうあるべき筈だからです。その心持を察してそうい・・・ 小川未明 「童話を書く時の心」
・・・写本師風情との結婚など夢想だに価しなかったのだ。わずかに、お君の美貌が軽部を慰めた。 某日、軽部の同僚と称して、蒲地某が宗右衛門の友恵堂の最中を手土産に出しぬけに金助を訪れ、呆気にとられている金助を相手によもやまの話を喋り散らして帰って・・・ 織田作之助 「雨」
・・・彼がそのなかに見る半ば夢想のそして半ば現実の男女の姿態がいかに情熱的で性欲的であるか。またそれに見入っている彼自身がいかに情熱を覚え性欲を覚えるか。窓のなかの二人はまるで彼の呼吸を呼吸しているようであり、彼はまた二人の呼吸を呼吸しているよう・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
出典:青空文庫