・・・男をこちらからおいでおいでと新田足利勧請文を向けるほどに二ツ切りの紙三つに折ることもよく合点しやがて本文通りなまじ同伴あるを邪魔と思うころは紛れもない下心、いらざるところへ勇気が出て敵は川添いの裏二階もう掌のうちと単騎馳せ向いたるがさて行義・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・殿「何かぐず/″\口の内で言っているな、浪々酌をしてやれ、もう一杯やれ」七「へえ、お酒なら否とは云いません」殿「其の方が久しく参らん内に私は役替を仰せ付けられて、上より黄金を二枚拝領した、何うだ床間にある、悦んでくれ」七「へ・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・男は自分の思惑を憚るかして、妙な顔して、ただもう悄然と震え乍ら立って居る。「何しろ其は御困りでしょう。」と自分は言葉をつづけた。「僕の家では、君、斯ういう規則にして居る。何かしら為て来ない人には、決して物を上げないということにして居る。・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・ どこをも、別荘の園のあるあたりをも、波戸場になっているあたりをも、ずっと下がって、もう河の西岸の山が畠の畝に隠れてしまう町のあたりをも、こんた黒い男等の群がゆっくり歩いている。数週前から慣れた労働もせず、随って賃銀も貰わないのである。・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・夫婦は、もう乞食でも何でもかまわないと思って、一しょにお寺へいってもらいました。 坊さんは、じいさんに子どもの名前を聞きました。じいさんは名前の相談をしておくのをすっかり忘れていました。「そうそう。名前がまだきめてありません。ウイリ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・去年のクリスマスにはあの約束をおしの人の二親のいる、田舎の内にお前さんは行っていて、そういったっけね。もうもう芝居なんぞは厭だ。こんな田舎で気楽に暮したいとそういったっけね。なんでも家持に限るのだよ。それは芝居にいるも好いけれどもね。その次・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・実際は灰色でも野は緑に空は蒼く、世の中はもう夏のとおりでした。おばあさんはこんなふうで、魔術でも使える気でいるとたいくつをしませんでした。そればかりではありません。この窓ガラスにはもう一つ変わった所があって、ガラスのきざみ具合で見るものを大・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・ 二人の姉達は、世間並の費用と面倒とで、もう結婚して仕舞っていました。今は唖の末娘が両親の深い心がかりとなっています。世の中の人は、皆、彼女が物を云わないので、ちっとも物に感じない、とでも思っているようでした。彼女の行末のことだの、心配・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。秋は、根強い曲者である。 怪談ヨロシ。アンマ。モシ、モシ。 マネク、ススキ。アノ裏ニハキッ・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・そうしてひそかに、吉井勇の、「紅燈に行きてふたたび帰らざる人をまことのわれと思ふや。」というような鬱勃の雄心を愛して居られたのではないかと思われます。いつか鳩に就いての随筆を、地方の新聞に発表して、それに次兄の近影も掲載されて在りましたがそ・・・ 太宰治 「兄たち」
出典:青空文庫