・・・ 答 彼は目下心霊的厭世主義を樹立し、自活する可否を論じつつあり。しかれどもコレラも黴菌病なりしを知り、すこぶる安堵せるもののごとし。 我ら会員は相次いでナポレオン、孔子、ドストエフスキイ、ダアウィン、クレオパトラ、釈迦、デモステネ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・但、当局はその真相を疑い、目下犯人厳探中の由なれども、諸城の某甲が首の落ちたる事は、載せて聊斎志異にもあれば、該何小二の如きも、その事なしとは云う可らざるか。云々。 山川技師は読み了ると共に、呆れた顔をして、「何だい、これは」と云った。・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・ 僕の母の実家の庭には背の低い木瓜の樹が一株、古井戸へ枝を垂らしていた。髪をお下げにした「初ちゃん」は恐らくは大きい目をしたまま、この枝のとげとげしい木瓜の樹を見つめていたことであろう。「これはお前と同じ名前の樹。」 伯母の洒落・・・ 芥川竜之介 「点鬼簿」
・・・畚褌の上へ引張らせると、脊は高し、幅はあり、風采堂々たるものですから、まやかし病院の代診なぞには持って来いで、あちこち雇われもしたそうですが、脉を引く前に、顔の真中を見るのだから、身が持てないで、その目下の始末で。…… 変に物干ばかり新・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・「何、目下は私たちの小僧です。」 と、甘谷という横肥り、でぶでぶと脊の低い、ばらりと髪を長くした、太鼓腹に角帯を巻いて、前掛の真田をちょきんと結んだ、これも医学の落第生。追って大実業家たらんとする準備中のが、笑いながら言ったのである・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・春のまさに闌ならんとする気を籠めて、色の濃く、力の強いほど、五月雨か何ぞのような雨の灰汁に包まれては、景色も人も、神田川の小舟さえ、皆黒い中に、紅梅とも、緋桃とも言うまい、横しぶきに、血の滴るごとき紅木瓜の、濡れつつぱっと咲いた風情は、見向・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・おのずから浮き浮きしてきた。目下の満足が楽しく、遠い先の考えなどは無意識に腹の隅へ片寄せて置かれる事になった。 これが省作おとよの二人ばかりであったらば、こうはゆかなかったかもしれない。そこにお千代という、はさまりものがあって、一方には・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 三 私は目下京都にいて、この原稿を書いているが、焼けた大阪にくらべて、焼けなかった京都の美しさは悲しいばかりに眩しいような気がしてならない。 京都はただでさえ美しい都であった。が、焼けなかった唯一の都会だと思え・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・「しかし、汚ないという評判だぜ。目下の者におごらせたりしたのじゃないかな」「えっ」 解せぬという顔だったが、やがて、あ、そうかと想い出して、「――いや、その積りはなかったんだが、はいってた筈の財布にうっかりはいっていなかった・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・ 私は目下上京中で、銀座裏の宿舎でこの原稿を書きはじめる数時間前は、銀座のルパンという酒場で太宰治、坂口安吾の二人と酒を飲んでいた――というより、太宰治はビールを飲み、坂口安吾はウイスキーを飲み、私は今夜この原稿のために徹夜のカンヅメに・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫