・・・当時夏目先生の面会日は木曜だったので、私達は昼遊びに行きましたが、滝田さんは夜行って玉版箋などに色々のものを書いて貰われたらしいんです。だから夏目先生のものは随分沢山持っていられました。書画骨董を買うことが熱心で、滝田さん自身話されたことで・・・ 芥川竜之介 「夏目先生と滝田さん」
・・・となり、「義血侠血」となり、「予備兵」となり、「夜行巡査」となる順序である。明治四十年五月 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・二十日の夜行軍、翌二十一日の朝、敵陣に近い或地点に達したのやけど、危うて前進が出来ん。朝飯の際、敵砲弾の為めに十八名の死者を出した。飯を喰てたうえへ砲弾の砂ほこりを浴びたんやさかい、口へ這入るものが砂か米か分らん様であった。僕などは、もう、・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・見ますと、故郷の方へ立つ夜行列車が出ようとしています。 彼はせめて貨車の中にでも身を隠すことができたら、幸福だと考えましたので、人目をしのんで、貨車に乗り込もうとしますと、中から、思いがけなく、「だれだ?」と声がしました。そして・・・ 小川未明 「海へ」
・・・お母さんの達者のことがわかったうえは、いまからすぐに夜行に乗って、東京へゆくことにしようと、真吉は、思いました。そして、呉服店のおかみさんが、しんせつに、泊まっていったらというのをきかずに、停車場へ引き返して、出立したのでした。 翌日、・・・ 小川未明 「真吉とお母さん」
・・・ 十時何分かの夜行で上野を発った。高崎あたりで眠りだしたが、急にぞっとする涼気に、眼をさました。碓氷峠にさしかかっている。白樺の林が月明かりに見えた。すすきの穂が車窓にすれすれに、そしてわれもこうの花も咲いていた。青味がちな月明りはまる・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・車賃を食い込み、明日また歩み明後日また歩み、いつまでも順送りに汽車へ乗れぬ身とならんよりは、苦しくとも夜を罩めて郡山まで歩み、明日の朝一番にて東京に到らん方極めて妙なり、身には邪熱あり足はなお痛めど、夜行をとらでは以後の苦みいよいよもって大・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・この帰りには、いったん下諏訪で下車して次の汽車の来るのを待ち、また夜行の旅を続けたが、嫂でも姪でも言葉すくなに乗って行った。末子なぞは汽車の窓のところにハンケチを載せて、ただうとうとと眠りつづけて行った。 東京の朝も見直すような心持ちで・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・古への礼に男女は席を同くせず、衣裳をも同処に置ず、同じ所にて浴せず、物を受取渡す事も手より手へ直にせず、夜行時は必ず燭をともして行べし、他人はいふに及ばず夫婦兄弟にても別を正くすべしと也。今時の民家は此様の法をしらずして行規を乱にして名を穢・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・即ち我が徳義を円満無欠の位に定め、一身の尊きこと玉璧もただならず、これを犯さるるは、あたかも夜光の璧に瑕瑾を生ずるが如き心地して、片時も注意を怠ることなく、穎敏に自ら衛りて、始めて私権を全うするの場合に至るべし。されば今、私権を保護するは全・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫