・・・……四日町を抜けて、それから小四郎の江間、長塚を横ぎって、口野、すなわち海岸へ出るのが順路であった。…… うの花にはまだ早い、山田小田の紫雲英、残の菜の花、並木の随処に相触れては、狩野川が綟子を張って青く流れた。雲雀は石山に高く囀って、・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・因みに大阪で志賀山流の名取は尚子さん唯一人、尚子さんは放送局の文芸部へ勤められる余暇を、舞の手の記録に捧げておられる。志賀山流の伝統保存のためであることは言うまでもない。――こんな話を、私は三ちゃんに語ったのである。・・・ 織田作之助 「起ち上る大阪」
・・・まして勉強の余暇に恋愛をたのしめというような卑俗な意味ではない。恋愛には恋愛のモラルと法則とがある。その意味では「学校を落第してまでは恋愛をせぬ」というモットーは理想主義のものでなくして、散文主義のものである。イデアリストの青年にあっては、・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・花の好きな末子は茶の間から庭へ降りて、わずかばかりの植木を見に行くことにも学校通いの余暇を慰めた。今の住居の裏側にあたる二階の窓のところへは、巣をかけに来る蜂があって、それが一昨年も来、去年も来、何か私の家にはよい事でもある前兆のように隣近・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・私立大学の、予科にかよっているのだが、少し不良で、このあいだも麻雀賭博で警察にやっかいをかけた。あたしの結婚の相手は、ずいぶんまじめな、堅気の人だし、あとあと弟がそのお方に乱暴なことでも仕掛けたら、あたしは生きて居られない。「それは、お・・・ 太宰治 「花燭」
・・・社の余暇を盗んで書いたので意を尽せないところが多いだろうが、折り返し、御返事をまちます。武蔵野新聞社、学芸部、長沢伝六。太宰治様。追伸、尚原稿書き直して戴ければ、二十五日までで結構だ。それから写真を一枚、同封して下さい。いろいろ面倒な御願い・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・勝治は、その受験勉強の期間中、仮にT大学の予科に籍を置いていたが、風間七郎は、そのT大学の予科の謂わば主であった。年齢もかれこれ三十歳に近い。背広を着ていることの方が多かった。額の狭い、眼のくぼんだ、口の大きい、いかにも精力的な顔をしていた・・・ 太宰治 「花火」
・・・あらゆる心と肉の労働者もその労働の余暇にこれらの「自然の音」に親しんでもらいたい。そういう些細な事でもその効果は思いのほかに大きいものになる事がありはしまいか。少なくもそれによって今の世の中がもう少し美しい平和なものになりはしまいか。 ・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ そうかと言って、自分でこのような大問題をどうにかしようという非望を企てるわけにも行かないわけであるが、それでもただやみがたい好奇心から、余暇あるごとに少しずつ、だんだんに手近い隣接国民の語彙を瞥見する事になり、それが次第次第に西漸して・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・然し自分の考ではもう少し書いた上でと思って居たが、書肆が頻りに催促をするのと、多忙で意の如く稿を続ぐ余暇がないので、差し当り是丈を出版する事にした。 自分が既に雑誌へ出したものを再び単行本の体裁として公にする以上は、之を公にする丈の価値・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』上篇自序」
出典:青空文庫