・・・華美な浴衣を着た女たちが大勢、殊に夜の十二時近くなってから、草花を買いに出るお地蔵さまの縁日は三十間堀の河岸通にある。 逢うごとにいつもその悠然たる貴族的態度の美と洗錬された江戸風の性行とが、そぞろに蔵前の旦那衆を想像せしむる我が敬愛す・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 然るに当夜観客の邦人中には市中の旅館に宿泊して居る人ででもあるのか、平袖の貸浴衣に羽織も着ず裾をまくり上げて団扇で脛をあおいでいる者もあり、又西洋人の中には植民地に於てのみ見受けられる雑種児にして、其風采容貌の欧洲本土に在っては決して・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・と云いながら、白地の浴衣に片足をそと崩せば、小豆皮の座布団を白き甲が滑り落ちて、なまめかしからぬほどは艶なる居ずまいとなる。「美しき多くの人の、美しき多くの夢を……」と膝抱く男が再び吟じ出すあとにつけて「縫いにやとらん。縫いとらば誰に贈・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・家へ帰って浴衣も着換える訳に行かなくなる。この暑いのに剣ばかり下げていなければすまないのは可哀想だ。騎兵とは馬に乗るものである。これも御尤には違ないが、いくら騎兵だって年が年中馬に乗りつづけに乗っている訳にも行かないじゃありませんか。少しは・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ 今は彼女の体の上には浴衣がかけてあった。彼女は眠ってるのだろう。眼を閉じていた。 私は淫売婦の代りに殉教者を見た。 彼女は、被搾取階級の一切の運命を象徴しているように見えた。 私は眼に涙が一杯溜った。私は音のしないようにソ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・(一寸おたずねいたしますが、この辺に宿屋 浴衣を着た髪の白い老人であった。その着こなしも風采も恩給でもとっている古い役人という風だった。蕗を泉に浸していたのだ。(青金の鉱山できいて来たのですが、何でも鉱山の人たちなども泊・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・けれども、本当にいつか、そんな母親の云うような縮緬の揃の浴衣で自分が神輿を担いだことがあったのかしら。番頭や小僧が大勢いる店と云えば、善どんと小僧とっきりいない米源よりもっと大い店だろうが、そんな店が自分の家だったのだろうか? ぼんやり・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ いろいろに引きとめるのをきかないで私は手廻りのものを片づけたり、ぬいだまんま衣桁になんかかけて置いた浴衣をソソクサとたたんだりした。 たえず心をおそって来る静かな不安と恐れとがどんな事でも落ついてする事の出来ない気持にさせた。・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・まだ余りよごれていない、病人の白地の浴衣が真白に、西洋の古い戦争の油画で、よく真中にかいてある白馬のように、目を刺激するばかりで、周囲の人物も皆褐色である。「お医者様が来ておくんなされた」 と誰やらが云ったばかりで、起って出迎えよう・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・白き上衣の、腋の下早や黄ばみたるを着たる人も、新しき浴衣着たる人よりは崇ばるるを見ぬ。 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫