夏目先生は書の幅を見ると、独り語のように「旭窓だね」と云った。落款はなるほど旭窓外史だった。自分は先生にこう云った。「旭窓は淡窓の孫でしょう。淡窓の子は何と云いましたかしら?」先生は即座に「夢窓だろう」と答えた。 ――・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・東洋の画家には未だ甞て落款の場所を軽視したるものはない。落款の場所に注意せよなどと言うのは陳套語である。それを特筆するムアアを思うと、坐ろに東西の差を感ぜざるを得ない。 大作 大作を傑作と混同するものは確かに鑑賞上の物質・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・かの女の浅はかな性質としては、もう、国府津に足を洗うのは――はたしてきょう、あすのことだか、どうだか分りもしないのに――大丈夫と思い込み、跡は野となれ、山となれ的に楽観していて、田島に対しもし未練がありとすれば、ただ行きがけの駄賃として二十・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 円福寺の画にはいずれも落款がないので椿岳の作たるを忘れられておる。椿岳の洒々落々たる画名を市るの鄙心がなかったのはこれを以ても知るべきである。が、落款があっても淡島椿岳が如何なる画人であるかを知るものは極めて少なく、縦令名を知っていて・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・糊刷毛かなにかでもって書いたものらしく、仰山に肉の太い文字で、そのうえ目茶苦茶ににじんでいた。落款らしいものもなかったけれど、僕はひとめで青扇の書いたものだと断定を下した。つまりこれは、自由天才流なのであろう。僕は奥の四畳半にはいった。箪笥・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・私は戦争の将来に就いて楽観している。 太宰治 「作家の手帖」
・・・ けれどもここに書かれてある言葉全部が、なんだか、楽観的な、この人たちの普段の気持とは離れて、ただ書いてみたというような感じがする。「本当の意味の」とか、「本来の」とかいう形容詞がたくさんあるけれど、「本当の」愛、「本当の」自覚、とは、・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・「ええ、お名前は、まえから母に朝夕、聞かされて、失礼ですが、ほんとうの兄のような気がして、いつかはお逢いできるだろう、と奇妙に楽観していたのです。へんですね、いつかは逢えると確信していたので、僕は、のんきでしたよ。僕さえ丈夫で生きていた・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である。そうして難関に出会っても存外どうにかしてそれを切り抜けて行く。どうにも抜けられない難関というのはきわめてまれだからである。 それで、研学の徒はあまり頭のいい先生にうっかり助言・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・このまとまらない考察の一つの収穫は、今まで自分など机上で考えていたような楽観的な科学的災害防止可能論に対する一抹の懐疑である。この疑いを解くべきかぎはまだ見つからない。これについて読者の示教を仰ぐことができれば幸いである。・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
出典:青空文庫