・・・ピラピラする透明な焔色を見守り、みのえは変に夢中な気持になって湯の沸くのを待った。彼女には、この夜ふけの、恋物語の後の沈黙が異常に作用するのであった。じかに板の間にいて寒さも感じない。 薬罐の底がクトンとずるように鳴った。 シューン・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
・・・沼の畔から右に折れて登ると、そこに岩の隙間から清水の湧く所がある。そこを通り過ぎて、岩壁を右に見つつ、うねった道を登って行くのである。 ちょうど岩の面に朝日が一面にさしている。安寿は畳なり合った岩の、風化した間に根をおろして、小さい菫の・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・「あんな腐った鰯みたいな奴と一緒にいたら、虫が湧くわ。」「そんな無茶苦茶云うてんと。」「あかんったらあかん。南のが引き取りゃそれでええんじゃ。」「お前とこ虫が湧きゃ、わしとこでも虫が湧くわ。」とお霜は云った。「勘が引受け・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫