・・・手に一つのバイオリンを持ち、脊中に箱を負っていました。 おじいさんは、上手にバイオリンを鳴らしました。そして、毎日このあたりの村々を歩いて、脊に負っている箱の中の薬を、村の人たちに売ったのであります。 こうして、おじいさんは日の照る・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・っとなって歩いているうちに、やがてアセチリン瓦斯の匂いと青い灯が如露の水に濡れた緑をいきいきと甦らしている植木屋の前まで来ると、もうそこからは夜店の外れでしょう、底が抜けたように薄暗く、演歌師の奏でるバイオリンの響きは、夜店の果てまで来たも・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・八百屋がバイオリンを鳴らしている。菓汁の飲料を売る水屋の小僧もあき罐をたたいて踊りながら客を呼ぶ。 船へ帰るとやっぱり宅へ帰ったような気がする。夕飯には小羊の乗った復活祭のお菓子が出る。夜は荷積みで騒がしい。四月十二日 朝から汗・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
バイオリンやセロをひいてよい音を出すのはなかなかむつかしいものである。同じ楽器を同じ弓でひくのに、下手と上手ではまるで別の楽器のような音が出る。下手な者は無理に弓の毛を弦に押しつけこすりつけてそうしてしいていやな音をしぼり・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・尤もこの頃人の話で大凡こんなものかくらいは解ったようだが元来西洋の音楽などは遠くの昔バイオリンを聞いたばかりでピアノなんか一度も聞いた事はないからなおさら駄目だ。どうかしてあんなものが聞けるようにも一度なりたいと思うけれどもそれも駄目だと云・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・食糧を貯蔵しなかった怠け者の蟋蟀が木枯しの夜に死んで行くというのが大団円であったが、擬音の淋しい風音に交じって、かすかなバイオリンの哀音を聞かせるのが割に綺麗に聞きとれるので、これくらいならと思って安心したのであった。 色々な種類の放送・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・ の一団によるバイオリンやヴオーカルがはじまり、婦人の出る時は、その度々電燈が消された――踊り手だけを照らしつゝ――」云々と。一九二九年以後ヨーロッパ、特にフランスの事情は一変して、漫遊客の数は今日劇減している、思えば我が一家は、世界事情が・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
出典:青空文庫