ポツダムかいだん【ポツダム会談】
1945年7月17日〜8月2日、ポツダムで、米のトルーマン・英のチャーチル(途中からアトリー)・ソ連のスターリンが、ヨーロッパにおける第二次大戦の戦後処理や日本の降伏条件などを協議した会談。→ポツダム宣言
ポツダムせんげん【ポツダム宣言】
1945年(昭和20年)7月26日、ポツダムで、米・英・中(のちにソ連も参加)が発した対日共同宣言。日本に降伏を勧告し、戦後の対日処理方針を表明したもの。軍国主義の除去・領土の限定・武装解除・戦争犯罪人の処罰・日本の民主化・連合国による占領などを規定。日本政府ははじめ拒否したが、原子爆弾の投下、ソ連の参戦を経て8月14日これを受諾した。→太平洋戦争
ポツダムひろば【ポツダム広場】
《Potsdamer Platz》ドイツの首都、ベルリンにある広場。1920年代から1930年代にかけて、金融機関や企業が集まるベルリンきっての繁華街だったが、第二次大戦で徹底的に破壊され、戦後は東西ベルリンを分断する壁(ベルリンの壁)がつくられた。東西ドイツ統一後再開発が始まり、オフィスビル、商業施設、映画館などが建てられ、新たな中心地となった。
ポツダムめいれい【ポツダム命令】
昭和20年(1945)9月20日の緊急勅令「ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件」に基づいて発せられた命令のこと。連合国最高司令官の命令を実施するためで、勅令・閣令・省令(日本国憲法施行後は政令・府令・省令)の3種があった。