托児所からはじまる モスクはクレムリとモスク河とをかこんで環状にひろがった都会だ。 内側の並木道と外側の並木道と二かわの古い菩提樹並木が市街をとりまき、鉱夫の帽子についている照明燈みたいな※と円い・・・ 宮本百合子 「砂遊場からの同志」
・・・ 故に、病院へ入ってもモスクに於て、病人は決して聖ルカに於てのように日常生活のデテールまでを人まかせにしてしまった安らかな快感は味えない。ニャーニカ達は、私が毎朝茶に牛乳を入れてのむという習慣を決して記憶しない。彼女等の頭は恒に新しい。・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・ 〔一九二八年〕二月三日 モスクワ 午後三時半頃日沈、溶鉱炉から火玉をふき上げたような赤い太陽光輪のない北極的太陽 雪のある家々の上にあり 細い煙筒の煙がその赤い太陽に吹き上げて居た。 五時すぎ モスクワ・・・ 宮本百合子 「一九二七年八月より」
・・・ 私は二年前よりモスクに居り、五月マルセーユまで行って、家の一行と合した。母は、一生に一度は見て置きたいと云っていた外国旅行の間、驚くべき努力で毎日日記をつけた。父は母の永年の労をねぎらうためと、一九二八年八月一日に三男英男が自分か・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・一九三二年にモスクへかえってから、ゴーリキイが「四十年」を書き続けられなかったということこそ自然です。作家として、ロシアの歴史、民衆というもの、新社会というものに対する心持の内部的組立てが変ってしまい、日常の感動が新鮮な脈うちで彼の正直な、・・・ 宮本百合子 「長篇作家としてのマクシム・ゴーリキイ」
・・・突した 四日雨 金 フランス語Madam H Ragondely 18 Rue Auguste-chabrres 15eH来クラマールへ 引こす相談 五日 モスクへ手紙 No. 30 土ジ・・・ 宮本百合子 「「道標」創作メモ」
・・・ モスクへ着いて二年目、と云っても五六ヵ月経ったばかりの或る夜、私は連れの友達とオペラ劇場へ、ラ・トラビアタをききに行った。連れが、その午後銀行から受取ったばかりの札を入れて、ふくらんでいる紙入れを、クロックのところで、一つの外ポケット・・・ 宮本百合子 「時計」
・・・ 一九二九年の春から秋にかけ、父はモスクにいた私をのぞいた一家四人をひきつれて欧州旅行を企てた。父は全く母の最後の希望を満すためにこの身分不相応の旅行を決行したのであった。息子夫婦と末の娘までをつれて行ったのは、すっかり健康の衰えて・・・ 宮本百合子 「母」
・・・「今年の六月、モスクで開かれた全国経済委員会議でスターリンが五ヵ年計画の失敗を告白している。差別賃銀制が行われるようになった。集団農場から箇別農場へ、強制労働から自由契約労働へ転向した。これは重大な敗北だ。ソヴェト・ロシアのことなら何でもい・・・ 宮本百合子 「反動ジャーナリズムのチェーン・ストア」
・・・社会主義的な自覚をもってきて作者は一九三〇年にまる二年あまり暮したソヴェト同盟から、日本へ帰えるべきか、それともそのままモスクへとどまってしまうかという一つの決定にせまられた。作者はついに日本へ帰えってきた。そしてこの決定は正しかった。モス・・・ 宮本百合子 「「広場」について」
出典:青空文庫