・・・就いては今日私の机の抽斗に百円入れて置きましたそれが、貴女のお帰りになると同時に紛失したので御座いますが、如何がでしょう、もしか反古と間違ってお袂へでもお入になりませんでしたろうか、一応お聞申します」と腹から出た声を使って、グッと急所へ一本・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・利己主義には深い根拠があり合理的に、正直に思索するときには誰しも一応は利己主義に帰著するくらいのものである。むしろここから反転して利他主義に飛躍するのが道筋ともいえる。リップスの感情移入の説はそのよき弾機であろう。他人の顔にある表情があらわ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・彼女は買ってやることになっても、なお一応、物置きの中を探して、健吉の使い古しの緒が残っていないか確めた。 川添いの小さい部落の子供達は、堂の前に集った。それぞれ新しい独楽に新しい緒を巻いて廻して、二ツをこちあてあって勝負をした。それを子・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・木沢殿に一応、斯様に礼謝せい。」と、でっぷり肥ったる大きな身体を引包む緞子の袴肩衣、威儀堂々たる身を伏せて深々と色代すれば、其の命拒みがたくて丹下も是非無く、訳は分らぬながら身を平め頭を下げた。偉大の男はそれを見て、笑いもせねば褒めもせ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・しかも、死ぬなら天寿をまっとうして死にたいというのが、万人の望みであろう。一応は無理からぬことである。 されど、天命の寿命をまっとうして、疾病もなく、負傷もせず、老衰の極、油つきて火の滅するごとく、自然に死に帰すということは、その実はな・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・悦気面に満ちて四百五百と入り揚げたトドの詰りを秋子は見届けしからば御免と山水と申す長者のもとへ一応の照会もなく引き取られしより俊雄は瓦斯を離れた風船乗り天を仰いで吹っかける冷酒五臓六腑へ浸み渡りたり それつらつらいろは四十七文字を按ずる・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・しかし、これまでの経緯は一応、奥さんに申し上げて置きます」「はあ、どうぞ。おあがりになって。そうして、ゆっくり」「いや、そんな、ゆっくりもしておられませんが」 と言い、男のひとは外套を脱ぎかけました。「そのままで、どうぞ。お・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・「被告の所有者たる襟は没収する限りでないから、一応被告に下げ渡します」と、裁判長が云った。「あの差押えた品を渡せ」と云うや否や、押丁はおれに例の紙包みを持って来て渡した。 その時おれは気を失った。それから醒覚したのは、監獄の部屋の中・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・また芸術的実写映画としての山岳映画や猛獣映画のごときものについても一通り述べたかったのであるが、これらについても他日適当な機会に、他の場所で一応の考察を試みたいと思う。 本編を草するために参考にした書物は次のようなものである。V・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・博文館が強いて拙著の著作権専有を主張したいならば、該書出版後今日に至るまで凡二十余年の間に、一応その相談を僕に向ってなすべき筈である。平生之を怠っていながら、一旦同書が現代文学全集中に転載せらるると見るや、奇貨居くべしとなし、俄に版権侵害の・・・ 永井荷風 「申訳」
出典:青空文庫