・・・ 三月十七日の朝、眼を覚すと顔が平常の二倍位に成って居ります。私はハッと驚きましたが知らぬ顔をして居ました。すると「お母さん。顔がこんなに腫れました。手も腫れました。眼が充分明けません。一寸鏡を貸して下さい」と言います。その時私は、鏡を・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・日は毎日二つの溪を渡ってその山へ落ちてゆくのだったが、午後早い日は今やっと一つの溪を渡ったばかりで、溪と溪との間に立っている山のこちら側が死のような影に安らっているのがことさら眼立っていた。三月の半ば頃私はよく山を蔽った杉林から山火事のよう・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・ 二十八年三月の末お絹が親もとより二日ばかり暇をもろうて帰り来よとの手紙あり、珍しき事と叔父幸衛門も怪しみたれどともかくも帰って見るがよかろうと三里離れし在所の自宅へお絹は三角餅を土産に久しぶりにて帰りゆきぬ。何ぞと思えば嫁に行けとの相・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・ その年転じて叡山に遊び、ここを中心として南都、高野、天王寺、園城寺等京畿諸山諸寺を巡って、各宗の奥義を研学すること十余年、つぶさに思索と体験とをつんで知恵のふくらみ、充実するのを待って、三十二歳の三月清澄山に帰った。 かくて智恵と力・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 十一月七日、一月二十一日には、労働者たちは、河を渡ってやって行く。三月八日には女たちがやって行く。「僕、日本人、行ってもいいですか?」「よろしい」 その日本人は、二十歳を過ぎたばかりだった。モスクワへ行きたい希望を抑えるこ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・かんせん昔おもえば見ず知らずとこれもまた寝心わるく諦めていつぞや聞き流した誰やらの異見をその時初めて肝のなかから探り出しぬ 観ずれば松の嵐も続いては吹かず息を入れてからが凄まじいものなり俊雄は二月三月は殊勝に消光たるが今が遊びたい盛り山・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・好ましい住居もすくないものだった。三月の節句も近づいたころに、また私は次郎を連れて一軒別の借家を見に行って来た。そこは次郎と三郎とでくわしい見取り図まで取って来た家で、二人ともひどく気に入ったと言っていた。青山五丁目まで電車で、それから数町・・・ 島崎藤村 「嵐」
子供のころから、お洒落のようでありました。小学校、毎年三月の修業式のときには必ず右総代として校長から賞品をいただくのであるが、その賞品を壇上の校長から手渡してもらおうと、壇の下から両手を差し出す。厳粛な瞬間である。その際、・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・二 アルベルト・アインシュタインは一八七九年三月の出生である。日本ならば明治十二年卯歳の生れで数え年四十三になる訳である。生れた場所は南ドイツでドナウの流れに沿うた小都市ウルムである。今のドイツで一番高いゴチックの寺塔のある・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・何でも三月からなくちゃ卒業の出来ねえところを、宅の忰はたった二週間で立派にやっちまった。それで免状をもらって、連隊へ帰って来ると、連隊の方でも不思議に思って、そんな箆棒な話がある訳のもんじゃねえ、きっと何かの間違だろうッてんで向へ聴合せたん・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫