・・・が、ふと店の時計を見ると、不審そうにそこへ立ち止った。「おや、この時計は二十分過ぎだ。」「何、こりゃ十分ばかり進んでいますよ。まだ四時十分過ぎくらいなもんでしょう。」 神山は体をねじりながら、帯の金時計を覗いて見た。「そうで・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・が、彼は反って私の怪しむのを不審がりながら、彼ばかりでなく彼の細君も至極健康だと答えるのです。そう云われて見れば、成程一年ばかりの間に、いくら『愛のある結婚』をしたからと云って、急に彼の性情が変化する筈もないと思いましたから、それぎり私も別・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ きちょうめんに正座して、父は例の皮表紙の懐中手帳を取り出して、かねてからの不審の点を、からんだような言い振りで問いつめて行った。彼はこの場合、懐手をして二人の折衝を傍観する居心地の悪い立場にあった。その代わり、彼は生まれてはじめて、父・・・ 有島武郎 「親子」
・・・二葉亭はこの『小説神髄』に不審紙を貼りつけて坪内君に面会し、盛んに論難してベリンスキーを揮廻したものだが、私は日本の小説こそ京伝の洒落本や黄表紙、八文字屋ものの二ツ三ツぐらい読んでいたけれど、西洋のものは当時の繙訳書以外には今いったリットン・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・ すると、空色の着物を着た子供は不審そうな顔つきをして、「なんで、君のお父さんや、お母さんはしかったんだい。」とききますと、正雄さんは、「人から、こんなものをもらうでないと、いって……。」と答えました。 すると、空色の着物を・・・ 小川未明 「海の少年」
・・・その不審が心にありながら、それをいい出す前に、おじいさんの帰ってきなされたのがうれしくて、「おじいさん、いつ帰ってきたの?」と問いました。「昨夜、帰ってきたのだ。」と、おじいさんは、やはり笑いながら答えました。「なぜ、僕を起こし・・・ 小川未明 「大きなかに」
・・・それならば安二郎が出頭しなければならぬのにと豹一は不審に思った。だんだんに訊いてみると、安二郎は偽せの病気を口実にお君を出頭させたのだとわかった。そんなばかなことがあるかと安二郎に喰ってかかると、「生意気ぬかすな。わいが警察へ行くのもお・・・ 織田作之助 「雨」
・・・駅とは正反対の方角ゆえ、その道から駅へ出られるとも思えず、なぜその道を帰って来るのだろうと不審だったが、そしてまた例のものぐさで訊ねる気にもなれなかったが、もしかしたらバスか何かの停留所があってそこから町へ行けるではないかと、かねがね考えて・・・ 織田作之助 「道」
・・・あんなに執拗かった憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。 その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖を悪くしてい・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・とさも不審そうな顔色で井山がしょぼしょぼ眼を見張った。「何も不思議は無いサ、その頃はウラ若いんだからね、岡本君はお幾歳かしらんが、僕が同志社を出たのは二十二でした。十三年も昔なんです。それはお目に掛けたいほど熱心なる馬鈴薯党でしたがね、・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
出典:青空文庫