・・・と同時に大きな蠅が一匹、どこからここへ紛れこんだか、鈍い羽音を立てながら、ぼんやり頬杖をついた陳のまわりに、不規則な円を描き始めた。………… 鎌倉。 陳彩の家の客間にも、レエスの窓掛けを垂れた窓の内には、晩夏の日の暮が近づいて来・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・それに挾まれて、不規則な小亜細亜特有な鋭からぬ鼻。大きな稍々しまりのない口の周囲には、小児の産毛の様な髯が生い茂って居る。下の大きな、顴骨の高い、耳と額との勝れて小さい、譬えて見れば、古道具屋の店頭の様な感じのする、調和の外ずれた面構えであ・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・そこには屋根の低い、木造の百姓家が不規則に建ち並んでいた。馬は、家と家との間の狭い通りへ這入って行った。彼は馬の速力をゆるくした。そして、静かに、そこらにある車や、木切れなどを蹴散らさないように用心しいしい歩んだ。栗毛の肉のしまった若々しい・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・は直線的有則螺線サ、これは玩弄の鉄砲の中にある蛇腹のような奴サ、第二は曲線的有則螺線サ、これはつまり第一の奴をまげたのと同じことサ、第三は級数的螺線サ、これは螺線のマワリが段々と大きくなる奴サ、第四は不規則螺線サ、此奴が実にむずかしいのだ、・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・何等の遠い慮もなく、何等の準備もなく、ただただ身の行末を思い煩うような有様をして、今にも地に沈むかと疑われるばかりの不規則な力の無い歩みを運びながら、洋服で腕組みしたり、頭を垂れたり、あるいは薄荷パイプを啣えたりして、熱い砂を踏んで行く人の・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ そんな事はどうでもよいが、私の眼についたのは、この灰色の四十平方寸ばかりの面積の上に不規則に散在しているさまざまの斑点であった。 先ず一番に気の付くのは赤や青や紫や美しい色彩を帯びた斑点である。大きいのでせいぜい二、三分四方、小さ・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・前にはコケラ葺や、古い瓦屋根に草の茂った貸長屋が不規則に並んで、その向うには洗濯屋の物干が美しい日の眼界を遮ぎる。右の方に少しばかり空地があって、その真上に向ヶ岡の寄宿舎が聳えて見える。春の頃など夕日が本郷台に沈んで赤い空にこの高い建物が紫・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・ 右手と左手との運動を巧みに対応させコーオルディネートさせる呼吸がなかなかむつかしいもので、それができないと紡がれた糸は太さがそろわなくて、不規則に節くれ立った妙な滑稽なものにできそこねてしまうのである。自分など一二度試みてあきれてしま・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ この曲線は上がったり下がったり、不規則な波状を画いているが、この波の一つの峰から次の峰までの文字数がかなり広い範囲内で色々に変っている。このような波の長さの長いのが多ければ峰の数が少なく、波が短ければ峰の数が多くなるのは勿論である。・・・ 寺田寅彦 「歌の口調」
・・・そういえば丸鋸で材木をひく時にもこれに似た不規則な轢音の急速な断続があるのである。 この蝗の羽音は何を語るか。蝗は何を目的として何物に導かれてどこからどこへ移動するか。世界は自分らのためにのみできているとばかり思っているわれわれ愚かな人・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫