・・・という題にて、鴎外の作品、なかなか正当に評価せられざるに反し、俗中の俗、夏目漱石の全集、いよいよ華やかなる世情、涙出ずるほどくやしく思い、参考のノートや本を調べたけれども、「僕輩」の気折れしてものにならず。この夜、一睡もせず。朝になり、よう・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・と言ったというが、芭蕉の数奇をきわめた体験と誠をせめる忠実な求道心と物にすがらずして取り入れる余裕ある自由の心とはまさしくこの三つのものを具備した点で心敬の理想を如実に実現したものである。世情を究め物情に徹せずしていたずらに十七字をもてあそ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・従前の世情に従えば唯黙して其狂乱に屈伏するか、然らざれば身を引て自から離縁せらるゝの外に手段なかる可し。娘の嫁入は恰も富籤を買うが如し。中るも中らざるも運は天に在り。否な、夫の心次第にて、極楽もあり地獄もあり、苦楽喜憂恰も男子手中の玩弄物と・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 然ばすなわち我が輩の所業、その形は世情と相反するに似たりといえども、その実はともに天道の法則にしたがいて天賦の才力を用ゆるの外ならざれば、此彼の間、毫も相戻ることなし。前日の事、すでにすでにかくの如し、後日の事、またまさにかくの如くな・・・ 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
・・・ 窃かに世情を視るに、近来は政治の議論漸く喧しくして、社会の公権即ち政権の受授につき、これを守らんとする者もまた取らんとする者も、頻りに熱心して相争うが如くなるは至極当然の次第にして、文明の国民たる者は国政に関すべき権利あるが故に、これ・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・従来の歌舞伎の番組には徳川末期的の世情を映したものもあり、現代の生活感情に遠いものがあったのは事実だけれど、十一月の新作ものの序幕や大詰では初めから演劇というものの独特な表現を思いあてたような空虚さがあった。 種々の条件が加わっても、や・・・ 宮本百合子 「“健全性”の難しさ」
・・・ 幸運の手紙は、従って人々がともかく幸福らしいものをたっぷりもって暮している世情の中では、効力を余り発揮しない。幸福や幸運というものがいかにもぼんやり遠くにあって、今日の現実とは反対のものとして心に描かれているような社会の条件のなかでこ・・・ 宮本百合子 「幸運の手紙のよりどころ」
・・・粉糖三合もったら養子に行くな、という云いならわしは一面で世情の機微を穿っていて、いくらかの財産があればあったで無ければ無いで、養う親ぐるみ娘を貰わなければならない次第が、結婚をむつかしくするのである。今日の若い婦人が生活の現実を観ている心は・・・ 宮本百合子 「今日の耳目」
・・・無遠慮な Egoist たるF君と、学徳があって世情に疎く、赤子の心を持っている安国寺さんとの間でなくては、そう云うことは成り立たぬと思ったのである。 安国寺さんの誠は田舎の強情な親達を感動させて、女学生はF君の妻になることが出来た。・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・現下の険悪な世情は、政治家が聖勅に違背したことに基づく。というのは、天下万民をして「各々その志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」との聖旨を奉戴しなかったことに基づく。国民の大部分がその志を遂げようとすることを、なんらか危険なことの・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫