・・・この両様とも悉しくその姿を記さざれども、一読の際、われらが目には、東遊記に写したると同じ状に見えていと床し。 しかるに、観聞志と云える書には、――斎川以西有羊腸、維石厳々、嚼足、毀蹄、一高坂也、是以馬憂これをもってうまかいたいをうれう、・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ただし先生には全く両様の意義を失った紐に過ぎなかった。先生が教場で興に乗じて自分の面白いと思う問題を講じ出すと、殆んどガウンも鼠の襯衣も忘れてしまう。果はわがいる所が教場であるという事さえ忘れるらしかった。こんな時には大股で教壇を下りて余ら・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・――lies にも両様がある。有形物について云う事は無論であるが無形物についてもよく使う字である。だから uneasy lies では君の云うように判然たる印象は起って来ないと。この非難に対する私の弁解はこうであります。 uneasy li・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・天下一日も政治なかるべからず、人間一日も文学なかるべからず、これは彼を助け、彼はこれを助け、両様並び行われて相戻らず、たがいに依頼して事をなすといえども、その地位はおのずから両立の勢をなせるものなれば、政治の囲範に文学を繋ぐべからず。これす・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・この時、衣服の制限を立るに、何の身分は綿服、何は紬まで、何は羽二重を許すなどと命を出すゆえ、その命令は一藩経済のため歟、衣冠制度のため歟、両様混雑して分明ならず。恰も倹約の幸便に格式りきみをするがごとくにして、綿服の者は常に不平を抱き、到底・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ゆえにこの時に出席する官員ならびに年寄は、試業のことと、立会のことと両様を兼ぬるなり。 小学の科を五等に分ち、吟味を経て等に登り、五等の科を終る者は中学校に入るの法なれども、学校の起立いまだ久しからざれば、中学に入る者も多からず。ただし・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・ ひっきょうするに、数年来、世の教育家なる者が、学問を尊び俗世界を賤しむこと、両様ともにはなはだしきにすぎ、高尚至極なる学問の型の中に無理に凡俗を包羅して、新奇の形を鋳冶せんとして、かえってその凡俗を容るることはできずして、大切なる教育・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・ 小学教育の事 三 筆算と十露盤といずれか便利なりと尋ぬれば、両様ともに便利なりと答うべし。石盤と石筆との価、十露盤よりも高からず、その取扱もまた十露盤に異ならず。かつ、筆算は一人の手にかない、十露盤は二人を要す。算の・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・ 外国と交際を開きて独立国の体面を張らんとするには、虚実両様の尽力なかるべからず。殖産工商の事を勉めて富国の資を大にし、学問教育の道を盛んにして人文の光を明らかにし、海陸軍の力を足して護国の備えを厚うするが如き、実際直接の要用なれども、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・穿鑿といえど為方に両様あり。一は智識を以て理会する学問上の穿鑿、一は感情を以て感得する美術上の穿鑿是なり。 智識は素と感情の変形、俗に所謂智識感情とは、古参の感情新参の感情といえることなりなんぞと論じ出しては面倒臭く、結句迷惑の種を蒔く・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
出典:青空文庫