・・・ゆくゆくは子供がうんとできて、自分の両親のようになってもかまわない。――「おれが、あの娘に話してみるか?」 うしろで、夫婦が相談はじめている。「それともお前がきいてみるか?」「そうね」「どっちにせ、青井の奴ァ、三年たって・・・ 徳永直 「白い道」
・・・わたくしは両親よりも一歩先に横浜から船に乗り、そして神戸の港で、後から陸行して来られる両親を待合したのである。 船は荷積をするため二日二晩碇泊しているので、そのあいだに、わたくしは一人で京都大阪の名所を見歩き、生れて初めての旅行を娯しん・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・彼等二人は両親が亡くなって自分等も老境に入るまでしみじみと噺をした事がない。そうかといって太十はなかなか義理が堅いので何事かあると屹度兄の家へ駈けつける。然し彼は何事に就いても少しの意見もなければ自ら差し出てどうということもない。気に入らぬ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・つまり大人が小供を視るの態度である。両親が児童に対するの態度である。世人はそう思うておるまい。写生文家自身もそう思うておるまい。しかし解剖すればついにここに帰着してしまう。 小供はよく泣くものである。小供の泣くたびに泣く親は気違である。・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・ ――どこにいるんだか、生きているんだか死んでるんだか知らないが、親たちが此態を見たら―― と、私は何故ともなく、両親の事を思い出した。 私の親が私にして呉れたのと、私の親ほどな年輩の世間の他人野郎とは、何と云うひどい違い方だろ・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・世間には男女結婚の後、両親に分れて別居する者あり。頗る人情に通じたる処置と言う可し。其両親に遠ざかるは即ち之に離れざるの法にして、我輩の飽くまでも賛成する所なれども、或は家の貧富その他の事情に由て別居すること能わざる場合もある可きなれば、仮・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・それだもんですから、イソダンであなたの御交際なさることの出来ましたのは、御両親を存じていたわたくしだけでございましたわ。 大切なる友よ。あの時がわたくしにとっては、どんなに幸福な時でございましたでしょう。本当にお互に物馴れない、窮屈らし・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ トーマス・マン夫妻は、おりからスイスに講演旅行に出かけていてエリカとクラウスとは、もう一刻も安住すべきところでなくなったドイツを去る決心をなし、スイスの両親にそちらにとどまるようにと電報して、ただちにスイスのアローザへおもむいた。こう・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・ 傍にいた両親の交る交る話すのを聞けば、この大切な一人息子は、夏になってから毎日裏の池で泳いでいたということである。体中に掻きむしったような痍の絶えない男の子であるから、病原菌の浸入口はどこだか分からなかった。 花房は興味ある ca・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・安次は両親と僅に残された家産を失くすると、間もなく軽蔑された身体を村から消した。最早やそれから九年も経った。が、今、また秋三は彼を見たのであった。「ほんに、お前安次やったのう。なんと汚い身体になったもんやないか。触ったら苔がめくれて来う・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫