・・・こういう意味において、源氏物語や落窪物語のようなものは、中等学校の歴史教科書よりも、文化国の大新聞の記事よりも、はるかに忠実な記録であり実証的な資料として役立つものである。おもしろいことには、そういう価値の多少がまたほとんど直ちに普通にいわ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ こうした極端な程度から少し下がった中等程度の颱風となると、その頻度は目立って増して来る。やっと颱風と名のつく程度のものまでも入れれば中部日本を通るものだけでも年に一つや二つくらいはいつでも数えられるであろう。遺憾ながらまだ颱風の深度対・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・空気の抵抗その他をなくすればほぼ一秒間九・八メートルの加速度をもって落つる事は中等教育を受けた者はともかくも一度物理学教科書に教えられる。しかしこれだけの簡単な方則の意味をほんとうに理解していつでも応用しうる程度までに知る人ははなはだまれで・・・ 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・ このような律動の最も鮮明に認められるのは、それほど極端には混雑しない、まず言わば中等程度の混雑を示す時刻においてである。 そういう時刻に、試みにある一つの停留所に立って見ると、いつでもほとんどきまったように、次のような週期的の現象・・・ 寺田寅彦 「電車の混雑について」
・・・皮肉なようであるがわれわれにほんとうの科学教育を与えたものは、数々の立派な中等教科書よりは、むしろ長屋の重兵衛さんと友人のNであったかもしれない。これは必ずしも無用の変痴奇論ではない。 不幸にして科学の中等教科書は往々にして・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・少なくもさし当たり小学校中等学校の教程中に適当なる形において火災学初歩のようなものを插入したいものである。一方ではまたわが国の科学者がおりにふれてはそのいわゆるアカデミックな洞窟をいでて火災現象の基礎科学的研究にも相当の注意を払うことを希望・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・ 六「中等教科書に現われた物理ほど非物理的な物理はない」こんなパラドクシカルな事もある意味では言えない事はない。なんとならば、ほんとうはよくわからない事がちゃんとわかっているかのように読まれうるから。同じような理由からこ・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
・・・現時の教育において小学校中等学校はローマン主義で大学などに至っては、ナチュラル主義のものとなる。この二者は密接なる関係を有して、二つであるけれどもつまりは一つに重なるものと見てよろしいのであります。故に前申した通り文学と教育とは決して離れな・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・もちろん人々の才・不才もあれども、おおよそこれまで中等の人物を経験したるところを記せしものなり。独見もでき、翻訳もでき、教授もでき、次第に学問の上達するにしたがい、次第に学問は六ッかしくなるものにて、真に成学したる者とては、慶応義塾中一人も・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・を固くせんとするには私徳を脩めざるべからざるの道理も、既に明白なりとして、さて今日の実際において、我が日本国の政治家はいかなる種族の人にして、その私徳の位は如何と尋ぬるに、外面より見て人品はいずれも皆中等以上の種族なれども、特別に有徳の君子・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫