・・・水平に持って歩いていた網を前下がりに取り直し、少し中腰になったまま小刻みの駆け足で走り出した。直径百メートルもあるかと思う円周の上を走って行くその円の中心と思う辺りを注意して見るとなるほどそこに一羽の鳥が蹲っている。そうしてじっと蹲ったまま・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・演壇のまわりを、組合員と学生が五十人ばかりとりまいているほかは、ひろい公会堂の隅の方に、一般聴衆の三人五人が下足をつまんで、中腰にしゃがんでいる。そしてそんな聴衆も、高島が演壇にでてきて五分もたつと、ぶえんりょに欠伸などしながら帰ってしまっ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・こんな中腰の態度で、芝居を見物する原因は複雑のようですが、その五割乃至七割は舞台で演ずる劇そのものに帰着するのかも知れません。あの劇がね、私の巣の中の世界とはまるで別物で、しかもあまり上等でないからだろうと思うんです。こう云うと、役者や見物・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・私は始終中腰で隙があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。 私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といっ・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・ 黙って字を眺め、首をねじ向けて後に中腰をしている母の顔を仰見た。 母は、私のおかっぱの頭越しにやはり字を見、「――変な形に出来たこと」と独言した。「さあ、今度は百合ちゃんの番。書いて御覧。下手でもいいのよ」 私は、体じ・・・ 宮本百合子 「雲母片」
・・・ 一番待ち兼ねて居た様な様子をしてお金は顔を見るなり飛び出した様な声で、 どうでしたえと云った。 中腰になって部屋の角へ、外套だの、ネルの襟巻だのをポンポン落してから、長火鉢の方へよって来た栄蔵はいつもよりは明るい調・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 詮吉は座敷の長火鉢の前に中腰になったきり、「さあ、この辺じゃ一円は出すまい、よくて五十銭だろう」 口を利きながら、彼は持っている半紙大の紙へ頻りに筆を動かした。「なあに」「――ふむ」 やがて、「どう? 一寸似て・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・ 間もなく御仙さんが帰ろうと云い出して御まきさんも、「えらい御やかましゅう。牛込の姉はんのとこに居まっさかえ、貴方も御いでやす。まってまっせ」 中腰をしてこんなことを云いはじめた。「マア、ようござんしょう、も一寸いらっしゃい・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
家中寝鎮まったものと思って足音を忍ばせ、そーッと階下へおりて行ったら、茶の間に灯がついていて、そこに従弟が一人中腰で茶を飲んでいた。どうしたの今時分まで、というと、鼠退治さ。栗のいがってどこにあるんだい。さア、私も知らない・・・ 宮本百合子 「未開の花」
出典:青空文庫