・・・外に姉さんも何も居ない、盛の頃は本家から、女中料理人を引率して新宿停車場前の池田屋という飲食店が夫婦づれ乗込むので、独身の便ないお幾婆さんは、その縁続きのものとか、留守番を兼ねて後生のほどを行い澄すという趣。 判事に浮世ばなしを促された・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・小林城三となって後、金千両を水戸様へ献上して葵の時服を拝領してからの或時、この御紋服を着て馬上で町内へ乗込むと偶然町名主に邂逅した。その頃はマダ葵の御紋の御威光が素晴らしい時だったから、町名主は御紋服を見ると周章てて土下座をして恭やしく敬礼・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・あれはいつだったっけ、何でも俺が船へ乗り込む二三日前だった、お前のところへ暇乞いに行ったら、お前の父が恐ろしく景気つけてくれて、そら、白痘痕のある何とかいう清元の師匠が来るやら、夜一夜大騒ぎをやらかしたあげく、父がしまいにステテコを踊り出し・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・そのくせ彼は舗道の両側の店の戸が閉まり、ゴミ箱が出され、バタ屋が懐中電燈を持って歩きまわる時刻までずるずると街にいて彷徨をつづけ、そしてぐったりと疲れて乗り込むのは、印で押したようにいつも終電車である。 佐伯が帰って来る頃には、改札口の・・・ 織田作之助 「道」
・・・××港から船に乗り込む前の二時間ばかり、××町の東三〇〇米の地点で休憩するから面会に来てくれというSの頼みをまつ迄もなく、私はSを見送る喜びに燃えた。 その前夜から、雨まじりのひどい颶風であった。面会の時間はかなりの早朝だったから、原稿・・・ 織田作之助 「面会」
・・・かえって懸命に茶化して、しさいらしく珠数を爪繰っては人を笑わせ、愚僧もあの婦人には心が乱れ申したわい、お恥かしいが、まだ枯れて居らん証拠じゃのう、などと言い、私たちを誘って、高田の馬場の喫茶店へ蹌踉と乗り込むのでした。この愚僧は、たいへんお・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・待ちに待った過越の祭、エルサレム宮に乗り込む、これが、あのダビデの御子の姿であったのか。あの人の一生の念願とした晴れの姿は、この老いぼれた驢馬に跨り、とぼとぼ進むあわれな景観であったのか。私には、もはや、憐憫以外のものは感じられなくなりまし・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・「でも、兄さんの留守に、僕たちが乗り込むのは、なんだか卑怯みたいですが。」「そんな事は無い。私は、ゆうべ兄さんに逢って、ちょっと言って置いたんです。」「修治をくにへ連れて行くと言ったのですか?」「いいえ、そんな事は言えない。・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・それでも戦争はまだまだ続くというし、どうせ死ぬのならば、故郷で死んだほうがめんどうが無くてよいと思い、私は妻と五歳の女の子と二歳の男の子を連れて甲府を出発し、その日のうちに上野から青森に向う急行列車に乗り込むつもりであったのですが、空襲警報・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・首尾よく不喫烟室に乗り込むまではよかったが、おれはそこで捕縛せられた。 おれは五時間の予審を受けた。何もかも白状した。しかし裁判官達には、おれがなぜそんな事をしたか分からない。「襟だって価のある物品ではありませんか」と、裁判官も検事・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
出典:青空文庫