・・・ 猶お友の語るところに依れば、お露は美人ならねどもその眼に人を動かす力あふれ、小柄なれども強健なる体格を具え、島の若者多くは心ひそかにこれを得んものと互に争いいたるを、一度大河に少女の心移や、皆大河のためにこれを祝して敢て嫉もの無かりし・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・いろいろな欲望や、悩みや、争いはありながらも、それに即して、直ちに静かさがあるのである。これを「至徳の風静かに衆禍の波転ず」と親鸞はいった。「生死即涅槃」といって、これが大涅槃である。涅槃に達しても、男子は男子であり、女子は女子である。女性・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・而も、現在、この縄張りの広狭争いのような喧嘩が起ろうとしているのである。これが将に起ろうとする××主義戦争である。 近代資本主義は、自由競争から独占への傾向をたどってきた。各産業部門に於ける独占は、利潤を多くする。小資本は大資本に併合さ・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・というような事ですから、今思い出すとおかしくてならんような争い方を仕たものです。或る一人が他の一人を窘めようと思って、非常に字引を調べて――勿論平常から字引をよく調べる男でしたが、文字の成立まで調べて置いて、そして敵が講じ了るのを待ち兼ねて・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・急に私は自分を反省する気にもなったし、言葉の上の争いになってもつまらないと思って、それぎり口をつぐんでしまった。 次郎がぷいと表へ出て行ったあとで、太郎は二階の梯子段を降りて来た。その時、私は太郎をつかまえて、「お前はあんまりおとな・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・鮒子は響のごとくに沈んで、争い乱れて味噌汁へ逃げこんでしまう。 藤さんが笑う。 手飼の白鳩が五六羽、離れの屋根のあたりから羽音を立てて芝生へ下りる。「あの鴎は綺麗な鳥ですね」と藤さんがいう。「あれは鳩じゃありませんか」「・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・言い争うような声が聞えたので眼を覚まし、窓の方を見ると、佐吉さんは長い梯子を屋根に立てかけ、その梯子の下でお母さんと美しい言い争いをして居たのでありました。今夜、揚花火の結びとして、二尺玉が上るということになって居て、町の若者達もその直径二・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・東京で十年間、さまざまの人と争い、荒くれた汚い生活をして来た私に較べると、全然別種の人のように上品だった。顔の線も細く、綺麗だった。多くの肉親の中で私ひとりが、さもしい貧乏人根性の、下等な醜い男になってしまったのだと、はっきり思い知らされて・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・というものの批判が非常に複雑困難なものであって、その批判の標準に千差万別があり、従って十人十色の批評者によって十人十色の標準が使用されるから、そこに批判の普遍性に穴があり、そこへ依怙の私と差別の争いが入り込むのであろう。 ある学者甲が見・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ これに反してもっとまじめで真剣なだけにいちばん罪の深い人間的な宣伝の場合と思われるのは、避くべからざる覊絆によって結ばれた集団の内部で、暗黙のうちに行なわれる、朋党の争いである。たとえば昔あったような姑と嫁の争いである。姑は「姑」を宣・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
出典:青空文庫