・・・竪川の中へ身を浸して、ずっぷり頭まで水に隠したまま、三十分あまりもはいっている――それもこの頃の陽気ばかりだと、さほどこたえはしますまいが、寒中でもやはり湯巻き一つで、紛々と降りしきる霙の中を、まるで人面の獺のように、ざぶりと水へはいると云・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ おい、船の胴腹にたかって、かんかんと敲くからかんかんよ、それは解せる、それは解せるがかんかん虫、虫たあ何んだ……出来損なったって人間様は人間様だろう、人面白くも無えけちをつけやがって。而して又連絡もなく、お前っちは字を読む・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・何だね人面白くも無い。可いよ今蔵が帰って来るの待っているから。今蔵に言うから」「イイえ主人では知らないのですから……」「オヤ今蔵は知らないの? 驚いた、それじゃお前さんが内証でお貸なの。嘘を吐きなさんな、嘘を。今蔵の奴必定三円位で追・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・のごとく、また因果の「人面瘡」のごとく至るところにつきまとって私を脅かすのであった。 だれが考えたものか知らないが、この鉄片はとにかく靴のかかとの磨滅を防ぐために取り付けたものには相違ない。しかし元来靴というものは、「靴自身のかかとのす・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・和尚も、衣食既に足りて其以上に何等の所望と尋ぬれば、至急の急は則ち性慾を恣にするの一事にして、其方法に陰あり陽あり、幽微なるあり顕明なるあり、所謂浮気者は人目も憚らずして遊廓に狂い芸妓に戯れ、醜体百出人面獣行、曾て愧るを知らずして平気なる者・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・しかしいかなる条件に恵まれていたにもせよ、人面を彫刻的に表現するに際して、自然的な表情の否定によって仕事をすることに思い至ったのは、驚くべき天才のしわざであると言わねばならぬ。能面の様式はかかる天才のしわざに始まってそれがその時代の芸術的意・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
出典:青空文庫