・・・そしてこの手綱をゆるめておいて、すぐに船へお乗りなさい。」と言いました。 ウイリイは馬のいうとおりにして、船へ乗りました。そして今にも岸をはなれようとしていますと、馬は、ふいに白いむく犬になって、いきなり船へ飛び乗り、ウイリイの足もとへ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・ マントは、わざとボタンを掛けず、小さい肩から今にも滑り落ちるように、あやうく羽織って、そうしてそれを小粋な業だと信じていました。どこから、そんなことを覚えたのでしょう。おしゃれの本能というものは、手本がなくても、おのずから発明するもの・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・どこか皮肉な、今にも例の人を笑わせる顔をしそうなところがある。また最近にタイムス週刊の画報に出た、彼がキングス・カレッジで講演をしている横顔もちょっと変っている。顔面に対してかなり大きな角度をして突き出た三角形の大きな鼻が眼に付く。 ア・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・後の降り口の方には乗客が息もつけないほどに押合い今にも撲り合いの喧嘩でも始めそうにいい罵っている。「込み合いますから、どうぞお二側に願います。」 釣革をば一ツ残らずいろいろの手が引張っている。指環の輝くやさしい白い手の隣りには馬蹄の・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・第九夜 世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争が起りそうに見える。焼け出された裸馬が、夜昼となく、屋敷の周囲を暴れ廻ると、それを夜昼となく足軽共が犇きながら追かけているような心持がする。それでいて家のうちは森として静かで・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・曇っていて今にも降り出しそうな空ではあったが、その厚い空の底には月があった。グラウンドを追っかければ、発見されるのは決まりきったことであった。 が、風のように早い深谷を見失わないためには、腹這ってなぞ行けなかった。で、彼はとっさの間に、・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ 善吉は今にも吉里が障子を開けて、そこに顔を出すような気がして、火鉢に手を翳していることも出来ず、横にころりと倒んで、屏風の端から一尺ばかり見える障子を眼を細くしながら見つめていた。 上草履は善吉が名代部屋の前を通り過ぎた。善吉はび・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・野原のポプラの錫いろの葉をちらちらひるがえし、ふもとの草が青い黄金のかがやきをあげますと、その二つのうずのしゅげの銀毛の房はぷるぷるふるえて今にも飛び立ちそうでした。 そしてひばりがひくく丘の上を飛んでやって来たのでした。「今日は。・・・ 宮沢賢治 「おきなぐさ」
・・・箱の上にのせたり畳の上に下したり、力を入れ己れの食いものの為に骨を折っているうちに陽子は悲しく自分が哀れで涙が出そうになって来た、家庭を失った人間の心の寂寥があたりの夜から迫って来た、陽子は手を止め、今にもふき子のところへ出かけそうになった・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・彼女は己が踏む道の上にあって、十字架を負った人のように烈しくあえいだ。今にも倒れそうな危うい歩きようである。 風聞が伝わった。「彼女病めり。」 彼女はこの時より一層高いある者を慕い初めた。烈しい情熱の酔いごこちよりも、もっと高い芸術・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫