・・・が、遠くの掛軸を指し、高い処の仏体を示すのは、とにかく、目前に近々と拝まるる、観音勢至の金像を説明すると言って、御目、眉の前へ、今にも触れそうに、ビシャビシャと竹の尖を振うのは勿体ない。大慈大悲の仏たちである。大して御立腹もあるまいけれども・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・ しかしこれは、工人の器量を試みようとして、棚の壇に飾った仏体に対して試に聞いたのではない。もうこの時は、樹島は既に摩耶夫人の像を依頼したあとだったのである。 一山に寺々を構えた、その一谷を町口へ出はずれの窮路、陋巷といった細小路で・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・名匠が仏体を刻む鑿の音、其処にあって私は仕事がして見たいと思います。私はあの里見氏の芸術からその気持が享容れられます。 私は創作は議論ではない力だと思います。それはお互いに争った両人の画家が、最後に無言で両人の作品を並べて其力を批判した・・・ 宮本百合子 「女流作家として私は何を求むるか」
出典:青空文庫