・・・を感ずる迄に堕落し、今に於て悔ゆるも如何とも致し難き感あるに相違ない、さりとて娯楽なしには生存し難き人間である以上、それを知りつつもお手の物なる金銭の力により、下劣浅薄な情欲を満たして居るのであろう、仏者の所謂地獄に落ちたとは彼等の如き境涯・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・たとえば我が日本にて古来、足利の末葉、戦国の世にいたるまで、文字の教育はまったく仏者の司どるところなりしが、徳川政府の初にあたりて主として林道春を採用して始めて儒を重んずるの例を示し、これより儒者の道も次第に盛にして、碩学大儒続々輩出したり・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・我が国において、鬼神幽冥の妄説は、多くは仏者の預るところとなりて、もっぱら社会に流行したることなれども、三百年来、儒者の道、ようやく盛にして、仏者に抗し、これに抗するの余りに、しきりに幽冥の説を駁して、ついには自家固有の陰陽五行論をも喋々す・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
・・・の気象を養ったら、何となく人生を超絶して、一段上に出る塩梅で、苦痛にも何にも捉えられん、仏者の所謂自在天に入りはすまいかと考えた。 そこで、心理学の研究に入った。 古人は精神的に「仁」を養ったが、我々新時代の人は物理的に養うべきでは・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
出典:青空文庫