・・・我等の為し得るところは、精々のところ他人の製作した者の中から、あの額縁この表紙を選定し指定するに過ぎない。しかもその選定や指定すら、多くの困難なる事情の下に到底満足には行かないのである。されば芸術品の表装は、我等の作品の一部分であるにかかは・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・ 私の親が私にして呉れたのと、私の親ほどな年輩の世間の他人野郎とは、何と云うひどい違い方だろう。 私は頭を抱えながら、滅茶苦茶に沢山な考えを、掻き廻していた。そして、私の手か頭かに、セコンドメイトの手の触れるのを待っていた。 私・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・どんは二三度来てくれたこともあッたから知ッていよう、三四人の奉公人も使ッていたんだが、わずか一年過つか過たない内に――花魁のところに来初めてからちょうど一年ぐらいになるだろうね――店は失くなすし、家は他人の物になッてしまうし、はははは、私し・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
一 夫女子は成長して他人の家へ行き舅姑に仕ふるものなれば、男子よりも親の教緩にすべからず。父母寵愛して恣に育ぬれば、夫の家に行て心ず気随にて夫に疏れ、又は舅の誨へ正ければ堪がたく思ひ舅を恨誹り、中悪敷成て終には追出され恥・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・こんな風だから、他人は作をしていねば生活が無意味だというが、私は作をしていれば無意味だ、して居らんと大に有意味になる。この相違を来すにゃ何か相当の原因が無くばなるまい。 私は二十世紀の文明は皆な無意義になるんじゃないかと思う。何と云って・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・律師ころり/\と衾かなさゝめこと頭巾にかつく羽折かな孝行な子供等に蒲団一つづゝのごとき数え尽さず、これらの什必ずしも力を用いしものにあらずといえども、皆よく蕪村の特色を現わして一句だに他人の作とまごうべくもあらず。天稟とは言・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・みなの衆、他人事ではないぞよ。よくよく自らの胸にたずねて見なされ。夜陰とは夜のくらやみじゃ。以てとは、これに乗じてというがようの意味じゃ。夜のくらやみに乗じてと、斯うじゃ。小禽の家に至る。小禽とは、雀、山雀、四十雀、ひわ、百舌、みそさざい、・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・又、他人の恋愛問題と自分のそれとは全然個々独立したもので、それぞれ違った価値と内容運命とを持っている筈のものです。恋愛とさえ云えば、十が十純粋な麗わしい花であるとも思えません。 私は、恋愛生活と云うものを余り誇張してとり扱うのは嫌いです・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
・・・父弥一右衛門は一生瑕瑾のない御奉公をいたしたればこそ、故殿様のお許しを得ずに切腹しても、殉死者の列に加えられ、遺族たるそれがしさえ他人にさきだって御位牌に御焼香いたすことが出来たのである。しかしそれがしは不肖にして父同様の御奉公がなりがたい・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 他人のことは私は知らないが自分一人では、私は物事をどちらかというと観察しない方である。自然に眼にふれ耳にはいってくることの方を大切にしたいと思っている。観察をすると有効な場合はあるが、観察したことのために相手が変化をしてしまうので、も・・・ 横光利一 「作家の生活」
出典:青空文庫