・・・長屋の人たちの手を借りて、おれがしてやった。長屋の住人の筈のお前は、その時既にどこやら姿をくらましていた。 ひとにきけば、湯崎より逃げかえった翌日、お千鶴と一緒に、夜逃げしてしまったということだった。ここらあたりから急に悪趣味になって来・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
横綱、男女川が、私の家の近くに住んでいる。すなわち、共に府下三鷹町下連雀の住人なのである。私は角力に関しては少しも知るところが無いのだけれど、それでも横綱、男女川に就いては、時折ひとから噂を聞くのである。噂に拠れば、男女川・・・ 太宰治 「男女川と羽左衛門」
・・・大学士の吸う巻煙草がポツンと赤く見えるだけ、「斯う納まって見ると、我輩もさながら、洞熊か、洞窟住人だ。ところでもう寝よう。闇の向うで涛がぼとぼと鳴るばかり鳥も啼かなきゃ洞をのぞきに人も来ず、と。ふん、斯んなあ・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・ 彼女の部屋の硝子から、此方に著たきりの派手な羽織のこんもりと小高い背を見せたまま別の世界の住人のように無交渉に納っている。 千代が、さしずをされずに拵えるものは、何でもない、彼女自身の大好物な味噌おじや丈だとわかったとき、さほ子は・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・一ルイでセザンヌの林檎ならばこそ三つ買って、ホクホクして帰る小さいパリーの勤人、屋根裏の住人の心持を考えると、セザンヌが何を力にあの困難も堪えたかということもわかるような暖かさがあります。はでなサロン向の画商との所謂大家的取引とは何と違うで・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・(大体ソヴェトのホテル住人ぐらい、台所と、率直な家庭的関係を保っているものはあるまい。英語の通訳、ドイツ語の通訳が玄関を飛び交うサヴォイやグランド・ホテルは例外である。そこは、ソヴェトのただ狭い客間である。一九二八年代、どこのホテルの廊・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・それどころか、明月谷の住人は、或る点現代というものからさえ幾分――丁度二十何町ばかりも引込んでいるようでさえある。ざっといって見ると、明月谷に他から移り住んだ元祖である元記者の某氏、病弱な彫刻家である某氏、若いうちから独身で、囲碁の師匠をし・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・文芸批評はそのころすべて主観に立つ印象批評であったから、在来の日本文学の世界の住人たちの感情にとって、プロレタリア文学理論とその所産とは、自らも住む文学の領域内での新発生としてありのままにうけとられず、文学の外から押しよせてきて、文学にわり・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・私は或る郊外住宅地の住人となっているのだが、そこに見事な桜並木が数丁続いている。秋、落葉の頃もよい眺望であったが、花が咲いた暁、或は月のある深夜、人気なく花をいただいて歩いたら、さぞ興深いことであろうと思う。日本の春の美の一部がさっと本来の・・・ 宮本百合子 「塵埃、空、花」
・・・の頭に十字を切ってやって、いう。「神爾とともに在れ!」 ブルジョアは自分達の劇場をもっていた。自分達の絵画館をもっていた。働く人間、彼らのいわゆる「黒い町」の住人どもに与えられているのは、ブルジョア国家がその税で富むところの火酒と教会と・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
出典:青空文庫