・・・ 私は二十世紀の文明は皆な無意義になるんじゃないかと思う。何と云っても今はまだレフレクションの影響を免がれていない。十九世紀で暴威を逞くした思索の奴隷になっていたんで、それを弥々脱却する機会に近づいているらしく見える。新理想とか何とか云・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・わたくしは何と仰ゃっても彼奴のいる傍へ出て行く事は出来ません。もしか明日の朝起きて見まして彼奴が消えて無くなっていれば天の助というものでございます。わたくしは御免を蒙りまして、お家の戸閉だけいたしまして、錠前の処へはお寺から頂いて来たお水で・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・おいおい硯と紙とを持て来い。何と書てやろうか。俳句にしようか。出来た出来た。大三十日愚なり元日なお愚なりサ。うまいだろう。かつて僕が腹立紛れに乱暴な字を書いたところが、或人が竜飛鰐立と讃めてくれた事がある。今日のも釘立ち蚯蚓飛ぶ位の勢は慥か・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・ 須利耶さまは奥さまとご相談で、何と名前をつけようか、三、四日お考えでございましたが、そのうち、話はもう沙車全体にひろがり、みんなは子供を雁の童子と呼びましたので、須利耶さまも仕方なくそう呼んでおいででございました。」 老人はちょっ・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・ 稲田は、堂々と、人間生活の労力の上に繁茂しているのに、折々汽車の窓から見えるこの辺の農家は、何と小さいだろう。しかも、稲田の広大な面積に比べて、数が少い。関東の農村のように、防風林をひかえて、ぐるりに畑や田をもった農家が散財していると・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・最初は敵の手掛りを聞き出そうとして、雑談に耳を傾けていたのだが、後には只何となしにそこで話していたのである。文吉はそう云う家を尋ねた。しかしどこにもいなかった。その晩には遅くなるまで九郎右衛門が起きていて、宇平の帰るのを待ったが、とうとう帰・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・「けれども、何といっても、まだ小供ですよ。あなたの色紙を貰ってくれというのは、何んでも数学をやる友人の中に、あなたの家の標札を盗んで持ってるものがいるので、よし、おれは色紙を貰って見せると、ついそう云ってしまったらしいのです。」 梶・・・ 横光利一 「微笑」
・・・地上と地下の姿が何とひどく相違していることだろう。一本の幹と、簡素に並んだ枝と、楽しそうに葉先をそろえた針葉と、――それに比べて地下の根は、戦い、もがき、苦しみ、精いっぱいの努力をつくしたように、枝から枝と分かれて、乱れた女の髪のごとく、地・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
出典:青空文庫