・・・僕はある日の暮れがた、ある小学校の先輩と元町通りを眺めていた。すると亜鉛の海鼠板を積んだ荷車が何台も通って行った。「あれはどこへ行く?」 僕の先輩はこう言った。が、僕はどこへ行くか見当も何もつかなかった。「寿座! じゃあの荷車に・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ 小宮山は慄然として、雨の中にそのまま立停って、待てよ、あるいはこりゃ託って来たのかも知れぬと、悚然としましたが、何しろ、自宅へ背負い込んでは妙ならずと、直ぐに歩を転じて、本郷元町へ参りました。 ここは篠田が下宿している処であります・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・旅なればこれも腹は立たず。元町を線路に沿うて行く。道傍の氷店に入ってラムネ一瓶に夜来の渇望も満たしたればこゝに小荷物を預けて楠公祠まで行きたり。亀の遊ぶのを見たりとて面白くもなし湊川へ行て見んとて堤を上る。昼なれば白面の魎魅も影をかくして軒・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・私アその頃籍が元町の兄貴の内にあったもんだから、そこから然う言って電報が此処へ届く。どうも様子が能く解らねえ。けど、その晩はもう遅くもあるし、さアと云って出かけることもならねえもんだから、明朝仕事を休んで一番で立って行った。 それア鄭重・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫