・・・私が林の家へいって、林の妹と三人で「兵隊将棋」をしたり、百人一首をしたり、饅頭など御馳走になったりしたことがあるが、たいていは林が私の家へくる方が多かった。だって私は妹の守りをすることもあるし、忙がしいのだから、一緒になるにはそれより方法が・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・官員ハ則黒帽銀、書生ハ則短衣高屐、兵隊ハ則洋服濶歩シ、文人ハ則瓢酒ニシテ逍遥ス。茶肆ノ婢女冶装妖飾、媚ヲ衒ヒ客ヲ呼ブ。而シテ樹下ニ露牀ヲ設ケ花間ニ氈席ヲ展ベ、酒ヲ煖メ盃ヲ侑ム。遊人嘔唖歌吹シ遅遅タル春日興ヲ追ヒ歓ヲ尽シテ、惟夕照ノ西ニ没シ鐘・・・ 永井荷風 「上野」
・・・必ず相当の論拠があり、研究もあって、露西亜の兵隊が何万満洲へ繰出すうちには、日本ではこれだけ繰出せるとか、あるいは大砲は何門あるとか、兵糧はどのくらいあるとか、軍資はどのくらいであるとかたいていの見込は立てたものでありましょう。見込が立たな・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・しがない日傭人の兵隊たちは、戦争よりも飢餓を恐れて、獣のように悲しんでいた。そして彼らの上官たちは、頭に羽毛のついた帽子を被り、陣営の中で阿片を吸っていた。永遠に、怠惰に、眠たげに北方の馬市場を夢の中で漂泊いながら。 原田重吉が、ふいに・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ 軍艦とは浮ぶために造られたのか、沈むために造られたのか! 兵隊と云うものは、殺すためにあるものか、殺されるためにあるものか! それは、一つの国家と、その向う側の国家とで勝手に決める問題だ。 これは、ブルジョアジーと、プロレタリアートと・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・ たとえば海陸軍においても、軍艦に乗りて海上に戦い、馬に跨て兵隊を指揮するは、真に軍人の事にして、身みずから軍法に明らかにして実地の経験ある者に非ざれば、この任に堪えず。されども海陸軍、必ずしも軍人のみをもって支配すべからず。軍律の裁判・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ 向こうからぷるぷるぷるぷる一ぴきの蟻の兵隊が走って来ます。「停まれ、誰かッ」「第百二十八聯隊の伝令!」「どこへ行くか」「第五十聯隊 聯隊本部」 歩哨はスナイドル式の銃剣を、向こうの胸に斜めにつきつけたまま、その眼の・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・ だから、そういう時代に本をよみはじめる年ごろになった若いひとたちは、偶然よんだ小説が、竹田敏彦であったり、尾崎士郎の従軍記であったり、火野葦平の麦と兵隊であったりした。本をよむことそれ自体が、一人の人間の生活の環のひろがりを意味するし・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・顔が綺麗だから、兵隊に見せまいと思って、隠して置いたのだろう。羊の毛皮を二枚着ていたそうだが、それで粟稈の中に潜っていたにしても、は焚かれないから、随分寒かっただろうね。支那人は辛抱強いことは無類だよ。兎に角その女はそれきり粟稈の中から起き・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・そこを坂下からこちらへ十人ばかりの陸軍の兵隊が、重い鉄材を積んだ車を曳いて登って来ると、栖方の大尉の襟章を見て、隊長の下士が敬礼ッと号令した。ぴたッと停った一隊に答礼する栖方の挙手は、隙なくしっかり板についたものだった。軍隊内の栖方の姿を梶・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫