・・・ やっと聞える位の声であった。「びっくりしたじゃないの。ああ、本当に誰かと思った、いやなひと!」 椅子の上から座布団を下し、縁側に並べた。「どんな? 工合」「ゆうべは閉口しちゃった、御飯の時」「ほーら! いってたの、うち・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・里芋を選り分けるような工合に遣って行くのだ。兄きなんぞの前へ里芋の泥だらけな奴なんぞを出そうもんなら、かます籠め百姓の面へ敲き附けちまうだろうよ。」「己は化学者になって好かったよ。化学なんという奴は丁度己の性分に合っているよ。酸素や水素・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・「そんねにうまい工合にいくやろか?」「まア事は何でもあたってみよや。組長さんに相談してみよにさ。」「そうしてみるか?」「なア? わし、これから行って来るわ、事は何んでも当って見よや。何も母屋や株内や云うたかて名だけや。わし一・・・ 横光利一 「南北」
・・・木立が、何か秘密を掩い蔽すような工合に小屋に迫っている。木の枝を押し分けると、赤い窓帷を掛けた窓硝子が見える。 家の棟に烏が一羽止まっている。馴らしてあるものと見えて、その炭のような目で己をじっと見ている。低い戸の側に、沢の好い、黒い大・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・弟が病気で、ニッツアに行っています所が、そいつがひどく工合が悪くなったというので、これから見舞に行って遣るのです。」「左様でございますか。それならあなた、弟さんを直ぐに連れてお帰りなさいましよ。御容体が悪くたって、その方が好うございます・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・湯加減のいい湯に全身を浸しているような具合に、私の心はある大きい暖かい力にしみじみと浸っていました。私はただ無条件に、生きている事を感謝しました。すべての人をこういう融け合った心持ちで抱きたい、抱かなければすまない、と思いました。私は自分に・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫