・・・退屈凌ぎに飲食することは、前祝いのようで都合が悪かった。 不思議な事には、子供たちは誰一人、眼を泣きはらしていなかった。 本田富次郎の頭脳が、兎に角物を言う事の出来た間中は、彼は此地方切っての辣腕家であった。 他の地主たちも、彼・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・前すでにいえる如く、我が国内の人心は守旧と改進との二流に分れ、政府は学者とともに改進の一方におり、二流の分界判然として、あたかも敵対の如くなりしかども、改進の人は進みて退かず、難を凌ぎ危を冒し、あえて寸鉄に衂らずしてもって今日の場合にいたり・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 蒲団引きおうて夜伽の寒さを凌ぎたる句などこそ古人も言えれ、蒲団その物を一句に形容したる、蕪村より始まる。「頭巾眉深き」ただ七字、あやせば笑う声聞ゆ。 足袋の真結び、これをも俳句の材料にせんとは誰か思わん。我この句を見ること熟せ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・こうすれば反射がよわくなっていくらか凌ぎよいものだ、と云って。 厚くしかれた河原の青葦は、むんむんと水気を蒸発させ、葦が乾いて段々枯れてゆくきつい香りを放散させ、わたしは目がくらみそうだった。それでも八月の二十日すぎて東京へかえるとき「・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・ パリに動員が始まったその時から、キュリー夫人は彼女の第二の母国、亡き夫ピエール・キュリーを彼女の生涯にもたらし、その科学の発見を完成させ、彼女を二人の娘の母にしたこのフランスの不幸を凌ぎやすいものにするために役立とうと考えていた。・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・今年の夏は久しぶりで私が家にいるから何とかしてすこしあなたも凌ぎよくしてあげたいと思っていたところ、休暇で工合わるくなり本当に残念です。 これは暑い、そう思い、そちらの様子を考えると暑さは又更に独特の汗を私にしぼらせます。この頃は暑さで・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 民族的悲運に陥って居る国民が、生理的に優越国民を凌ぎ得ない事は、彼等の悲しめる魂の所産でございます。絶えざる不満、圧迫の下に束縛されて、嘆き悲しみつつ軈ては其にも馴れて無感覚に成った不幸な魂が、如何うして輝く肉体の所有者に成れますでし・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・私達がそれらの難関と苦境とに処して何かの希望と方向とを発見し、それを凌ぎ前進して行けるのは何の力によってであろうか。それはただ私達が自分の経験を我が物と充分自覚してうけとり、それを凡ゆる角度から玩味し、研究し、社会の客観的な歴史と自分の経験・・・ 宮本百合子 「青年の生きる道」
・・・その波濤を、ああしこうし工夫して凌ぎゆくわけだが、そのようにして生活して行くというだけでは、殆ど未だ人間経験というところまでも収穫されていないと云える。そのような日暮しから受ける心持、そのような日暮しに向ってゆく自分の心の動きよう、そういう・・・ 宮本百合子 「地の塩文学の塩」
・・・僅かの給料を唯一の資力として微に支えられて行く生活も、いざと云う時、後で手を延して呉れる者が在る間は凌ぎ得ない苦痛ではありませんでした。が、頼るべき何人も何物も無く、全く一人ぼっちに成って見ると、彼女にとって現状のままを引延して予想した未来・・・ 宮本百合子 「ひしがれた女性と語る」
出典:青空文庫