・・・みちは岩の崖になった処の中ごろを通るのでずいぶん度々山の窪みや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水もあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄をぬいで傘と一緒にもって歩いて行きました。 まがり・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・さるとりいばらにひっかけられたり、窪みにどんと足を踏みこんだりしながらも、一生けん命そっちへ走って行きました。 すると野原は、だんだん茨が少くなって、あのすずめのかたびらという、一尺ぐらいのけむりのような穂を出す草があるでしょう、あれが・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・亮二は見っともないので、急いで外へ出ようとしましたら、土間の窪みに下駄がはいってあぶなく倒れそうになり、隣りの頑丈そうな大きな男にひどくぶっつかりました。びっくりして見上げましたら、それは古い白縞の単物に、へんな簑のようなものを着た、顔の骨・・・ 宮沢賢治 「祭の晩」
・・・ 丘の窪みや皺に、一きれ二きれの消え残りの雪が、まっしろにかがやいて居ります。 木霊はそらを見ました。そのすきとおるまっさおの空で、かすかにかすかにふるえているものがありました。「ふん。日の光がぷるぷるやってやがる。いや、日の光・・・ 宮沢賢治 「若い木霊」
・・・ まともに相剋に立ち入っては一生を賭しても解決はむずかしいのだからと、今日の文化がもっている凹みの一つである女らしさの観念をこちらから把んで、そこで女らしさの取引きを行って処世的にのしてゆくという態度も今日の女の生きる打算のなかには目立・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・そこの内部は何か人目からかくされた場所で、そこにある丁度いい暖かさ、体にあった窪みを、ほかのものには相当堪え難い悪臭とともに、自分たちの巣の懐かしさとして愛着する、そういうところがありはしないだろうか。 家庭のくつろぎ、居心地よさという・・・ 宮本百合子 「家庭創造の情熱」
・・・私の爪の真中に一本横にひどい窪みが現われました。爪が伸びてきて三月前死んだ時の線が真中まで押し出されてきたのです。チブスをやってもこんなことはないそうです。「ひどかったんですなあ」と先生が感服致します。賀川豊彦でなくても死線が現われました。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ と思ったその男は、その凹みの草のなかに臥てでもいたのだったろう。 にょっきり草から半身を現した黒い大きいきたない顔は、ものも云わず笑いもせず、わたしを睨むように見た。私も、二間ばかり離れたこっちから目を据えてその男を見守っている。どっ・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・ そう思って、新刊書のおかれている網棚の方へ目を移そうとしたとき、入口わきの凹みに、横顔をこちらへ向けて小卓に向い、何か読んでいる一人の司書の老人に注意をひかれた。黒い上っぱりを着ている。袖口がくくられてふくらんでいる。その横顔の顎の骨・・・ 宮本百合子 「図書館」
・・・病人の頬や眼窩や咽喉の窪みに深い影が落ちて鎮まった。お霜は床に腰を下ろすと、うっとりしながら眼の前に拡っている茶の木畑のよく刈り摘まれた円い波々を眺めていた。小屋の裏手の深い掘割の底を流れる水の音がした。石橋を渡る駄馬の蹄の音もした。そして・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫