・・・いつぞやお鍋が伊万里の刺身皿の箱を落して、十人前ちゃんと揃っていたものを、毀したり傷物にしたり一ツも満足の物の無いようにしました時、傍で見ていらしって、過失だから仕方がないわ、と笑って済ましておしまいなすったではありませんか。あの皿は古びも・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・どッとゝ番町今井谷を下りまして、虎ノ門を出にかゝるとお刺身にお吸物を三杯食ったので胸がむかついて耐りませんから、堀浚いの泥と一緒に出ていたを、其の方がだん/″\掻廻したので泥の中から出たんで、全く天から其の方に授かったところの宝で、図らず獲・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・マグロの刺身。イカの刺身。支那そば。ウナギ。よせなべ。牛の串焼。にぎりずしの盛合せ。海老サラダ。イチゴミルク。 その上、キントンを所望とは。まさか女は誰でも、こんなに食うまい。いや、それとも?行進 キヌ子のアパートは、・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・(その襖の外の節子に平目たったいま、浜からあがった平目だ。刺身にしてくれ。奥田先生と今夜は、ここで宴会だ。いいかい、刺身をすぐに、どっさり持って来てくれ。どっさりだよ。待て、待て。一まいは刺身に、一まいは焼く、という事にしたらい・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・それがある時台所で出入りの魚屋と世間話をしながら、刺身包丁を取り上げて魚屋の盤台の鰹の片身から幅二分くらい長さ一尺近い細長い肉片を巧みにそぎ取った。そうしてその一端を指でつまんで高く空中に吊り下げた真下へ仰向いた自身の口をもって行って、見る・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・松魚の刺身のつまに生のにんにくをかりかり齧じっているのを見て驚歎した自分は、自宅や親類の人達がどうしてにんにくを喰わないかと思って母に聞いたら、あれを食うと便所が臭くなるからいけないと云うことであった。重兵衛さんの家では差支えのない事が自分・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・も、悲夫逆艪の用意いまだ調わざる今日の時勢なれば、エー仕方がない思い切って落車にしろ、と両車の間に堂と落つ、折しも余を去る事二間ばかりのところに退屈そうに立っていた巡査――自転車の巡査におけるそれなお刺身のツマにおけるがごときか、何ぞそれ引・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・ 間もなく塩引の鮭の刺身やいかの切り込みなどと酒が一本黒い小さな膳にのって来る。 小十郎はちゃんとかしこまってそこへ腰掛けていかの切り込みを手の甲にのせてべろりとなめたりうやうやしく黄いろな酒を小さな猪口についだりしている。いくら物・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・その頃は刺身が一人前五十銭であった。 喫茶店をやっている人が来て、近々その店を閉めて、子供の予習所にするという話をした。砂糖その他が高くなって、今まで十銭のコーヒーであったのを十五銭にしなければ合わなくなった。喫茶店で出すマッチね、あれ・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・ 嫁には、無理じいに茶漬飯を食べさせて置いて、自分は刺身を添えさせ、外から来る人には、嫁が親切で、と云いたいたちであった。 赤の他人にはよくして、身内の事は振り向きもしない。お君の親達は「百面相」だの「七面鳥の様な」と云って居た。・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫