・・・私は級で一番の前列だったから、まるで自分ひとりがそのめずらしい人間らしい心持のする先生とさし向いでいるような集注で、西洋史の時間をすごした。千葉先生の歴史は、歴史というものが複雑多岐なる人間交渉をめぐって展開されることを私たちに教え、一つの・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・ 前列の机に両肱かけて坐っていた若い女が、 ――御覧! よこに並んでいる年上の仲間に、怒ったように低い声でいった。 ――そいで、あすこは、どんな村でも電燈をつけて、文明国だって! それから日本女に向って、高い声で訊いた。・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・しかし、おびただしい数の聴取者を持っている文化施設として、ソヴェト同盟が絶えずラジオを文化戦線の最前列に立たせようと努力していることは、はっきりと云える。例えばモスクワの郵電省の一部に特別なラジオ学校見たいなものがあって、直接産業別の労働組・・・ 宮本百合子 「ソヴェト同盟の芝居・キネマ・ラジオ」
・・・ その時分から、私はまるで背低くであったので、級では一番前列に席がある。 右手の扉から、先生が軽い大股で、ノートを左手に入って来、教壇に立たれる。私は、心をこめ、求道者が師を礼拝するような心持で頭を下げた。そして、次第に熱中し、興に・・・ 宮本百合子 「弟子の心」
・・・ 写真をとるという時、前列に踞んだ芸者が、裾を泥にしまいと気にして、度々居ずまいをなおした。頭のてっぺんが平べったいような、渋紙色の長面をした清浦子は、太白の羽織紐をだらりと中央に立っていたが、軈て後を向き、赤いダリアの花一輪つみとった・・・ 宮本百合子 「百花園」
・・・ ようよう物語と同じように節を附けた告別の詞が、秋水の口から出た。前列の中央に胡坐をかいていた畑を始として、一同拍手した。私はこの時鎖を断たれた囚人の歓喜を以て、共に拍手した。 畑等が先に立って、前に控所であった室の隣の広間をさして・・・ 森鴎外 「余興」
出典:青空文庫