・・・長野は演説するとき、かならず菜ッ葉服を着るが、そのときは興ざめたように、中途でかえってしまった。前座には深水と高坂がしゃべった。浪花ぶし語りみたい仙台平の袴をつけた深水の演説のつぎに、チョッキの胸に金ぐさりをからませた高坂が演壇にでて、永井・・・ 徳永直 「白い道」
・・・わたしは朝寝坊夢楽という落語家の弟子となり夢之助と名乗って前座をつとめ、毎月師匠の持席の変るごとに、引幕を萌黄の大風呂敷に包んで背負って歩いた。明治三十一、二年の頃のことなので、まだ電車はなかった。 当時のわたしを知っているものは井上唖・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・落話家の前座になって見たがやはり見込がないので、遂に按摩になったという経歴から、ちょっと踊もやる落話もする愛嬌者であった。 般若の留さんというのは背中一面に般若の文身をしている若い大工の職人で、大タブサに結った髷の月代をいつでも真青に剃・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・その刻限になると、前座の坊主が楽屋に来るが否や、どこどんどんと楽屋の太鼓を叩きはじめる。表口では下足番の男がその前から通りがかりの人を見て、入らっしゃい、入らっしゃいと、腹の中から押出すような太い声を出して呼びかけている。わたくしは帳場から・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・というものを開いたときには、太刀ふじという七つか八つの女の子に前座をつとめさせたこともあった様子である。 明治十三年に神田の区会に婦人傍聴者が現れたということが神崎清氏の婦人年鑑にあって、それから明治二十三年集会結社法で婦人の政談傍聴禁・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
出典:青空文庫